トチノキ(2)
ミツバチが蜂蜜を作るために花から蜜を集める植物(蜜源植物)として大切な「トチノキ」.
山形県朝日町では,そのためにトチノキの植樹を中心とした里山保全活動も行われていました.
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/05/29/004512
yachikusakusaki.hatenablog.com
そして,歴史的に見れば---
トチの実が,古来,食料として大切な役割を持っていたこともよく知られていますね.
縄文時代の貴重な食べ物「トチの実」
縄文時代から最高級の食べ物 栗- yachikusakusaki's blogでも少し触れましたが---
石毛直道著「日本の食文化史」によれば,
「縄文時代の初期の遺跡からはドングリも発見されているが,生で食べたり,焼いて食べることができるクリやクルミなどの堅果(けんか)の比重が高い.
人口の増大した縄文時代中期になると,あく抜きを必要とするドングリとトチの実を貯蔵して利用したのである.
非水溶性成分であるサポニンやアロインを含むトチの実を食用にするためには,アルカリで中和しなくてはならない.現在でも日本の一部の地方に民俗例として残存しているように,大量の灰を加えて煮ることによってトチの実のあく抜きをしていたと考えられる.そのための灰を集める特別の施設を備えた炉をもつ縄文文化の住居が,各地から発見されている」
ドングリ,トチの実などの堅果類の生産性は予想以上に高く,イネの1/8にまで達し,イノシシの500倍に当たるとのこと.
「縄文時代がはじまった頃2万人だった日本列島の人口は,中期には26万人にまで増大した(小山修三氏)」
この増大を支えたのがドングリとトチの実.狩猟の獲物に依存する食生活からすぐに稲作に移行したのではなく,植物性食料主体への食生活の移行は,まずトチの実など堅果類の利用からはじまったということですね.
食料の安定供給源としてのトチノキについては北川淳子氏によるまとめをウェブ上で見ることができます.http://www.chikyu.ac.jp/sato-project/news_letter/news_letter_14.pdf
「青森県の亀ヶ岡遺跡の花粉分析から,縄文時代には温暖期にはクリ,寒冷期にはトチノキを半栽培していたことが分かっています」
(半栽培(はんさいばい、semi-domestication)とは,放置的な栽培,野生植物の移植,野生植物への手入れ,いわゆる里山植物などを表す概念のことである. 品種改良によってつくられた栽培植物の計画的な栽培(農耕)と,完全な野生植物の採集の中間領域を占める活動全般を指す.半栽培 - Wikipedia)
さらに,トチノキの食料への利用は近年まで続いていた!
「天明の大飢饉の時代,白山麓でトチノキの半栽培がはじまったことが花粉分析で明らかになりました」
今も各地に「トチノキ巨樹群」が残されているのは,飢饉対策としての半栽培の名残と考えられています.大切に保護されてきたのですね.
国指定の天然記念物の巨樹(太田の大トチノキ).
滋賀県でも保存運動の対象としても(認定NPO法人びわ湖トラスト – 山・川・湖「キレイ」を、あしたへ。)トチノキはよく知られた存在になっています.
トチモチ:トチの実のあく抜きの方法
広く愛読されている童話「モチモチの木」.トチノキがモチモチの木と呼ばれています.
トチの実は,現在でもトチモチの材料として使われています.
上記の北川淳子氏もトチ取材先としていくつかのトチモチ販売店を紹介し,あく抜き方にもふれています.(https://tabelog.com/gifu/A2104/A210404/21010158/ 志んさ本舗)
縄文時代を支えた技といえますね.
奈良県吉野郡下北山村のウェブサイトでは,あく抜き方をかなり詳しく紹介しています.とても手間のかかる工程.ただ,「トチの実は,初めの処理(:1週間水に浸して,虫などと取り除き,その後,天日干し)をした後は長期保存ができる」とありました.食料として利用する上で大切で,この工程も大事な技術革新だったといえますね.
あく抜き方 下北山村 | 山の名品「栃餅」の作り方
「雜木(カシ,ケヤキ,ウメ等)の灰を細かいふるいにかけた後熱湯を注ぎ,その中に皮をむいたトチの実(水さらし⇒天日干ししたもの)を3日〜4日漬け,その後ネットに入れて川に流れに3〜4日さらす」
トチノキは
ムクロジ科 Sapindaceae トチノキ属 Aesculus トチノキ A. turbinata
栃の木とは - 植物図鑑 Weblio辞書 トチノキ - Wikipedia
ムクロジ?聞いたことがありませんでしたが,古来よりよく知られた植物で
「種子は羽根つきの羽根の球に使い、果実の皮は昔、洗濯用の石けんとして用いた」とのこと.
植物図鑑 :: 筑波実験植物園(つくば植物園) Tsukuba Botanical Garden
セイヨウトチノキ Aesculus hippocastanum
は,おそらくトチノキ属で最も名前が知られた植物.別名はマロニエです.パリの並木道で有名ですね.
トチノキのとても近い親戚筋とは--.実は今まで知りませんでした.
ベニバナトチノキ Aesculus x carnea
は,街路樹としても広く用いられています.マロニエと北米原産のアカバナトチノキの交雑種だそうです.
アメリカでよく知られているのがオハイオトチノキ Aesculus glabra.
オハイオ州の州の木ということ,そして“ Ohio buckeye ”という名前でも有名らしい.
トチノキの英語は一般的にはhorse chestnut(馬栗?日本では犬ーーーがよく使われますが,英語では馬ーーーなのでしょうか?)が使われているようですが,別名がbuckeye(直訳は「雄ジカの眼」).ただしbuckeyeは主にオハイオトチノキを指すとか.オハイオ州にとってはかなり意味のある木のようです.
なお,日本のトチノキは英語で "Japanese horse-chestnut" だそうです.
最後に
栃木県の名前の由来
:はっきりとはしていないようですが,トチノキと関連しない説もたくさんあるようで----
十千木(とおちぎ)説 神社「神明宮」栃木町(現在の栃木市)内に神明宮という神社があり、社殿の屋根にある2組の千木(ちぎ)と8本の鰹木(かつおぎ)が、遠くから見ると10本に見えたことから、神社の辺りを「十千木(とおちぎ)」と呼ぶようになったという説.
トチノキ説 トチノキがたくさん生えており、それが転訛して「トチギ」なったという説.
崩壊地名説 栃木町(現在の栃木市)内を流れる巴波川は、かつてたびたび氾濫を起こしたことから、千切れた地形(浸食された地形)の動詞「チギ(る)」に接頭語の「ト」が付いたという説.
遠津木(とおつき)説 「古事記」に登場する豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)が、木(毛)の国(現在の栃木県)と木(紀)の国(現在の和歌山県)を区別するため、遠くはなれた木の国という意味で「遠津木(とおつき)」と命名したものが、「トチギ」に転訛したという説.