''SONGS 薬師丸ひろ子 ~高倉健さんが教えてくれた映画のすべて~ 12月10日(土)''を録画,視聴しました.歌ももちろん素敵でしたが,より引きつけられたのは,終始,目を潤ませながら語る薬師丸ひろ子さんの姿.高倉健さんを「恩師」として,いかに慕っていたかが,ひしひしと伝わる彼女のトークでした.
なお,歌われた楽曲は:
「戦士の休息」「ムーン・リバー」「ベンのテーマ」「愛のバラード」「探偵物語」「メイン・テーマ」「Woman “Wの悲劇”より」「セーラー服と機関銃」でした.
私,薬師丸ひろ子は,13歳の時,「野生の証明」で映画の世界に飛び込みました.
出会ったのは銀幕の大スター高倉健さん,私の運命を変えた人です.高倉さんのもとで始まった,女優人生.高倉さんは人としての生き方も教えてくれる,私の恩師になりました.
(映像「プロフェッショナル仕事の流儀」 2011年映画「あなたへ」撮影現場 撮影者「現場でお会いされるのは何年ぶりくらいなんですか?」高倉「何十年ぶりだよな 現場は」薬師丸「デビューした時から一度もその後は残念ながらご一緒させていただく機会がないので」高倉「子どもの映画やらないからね」)
私は映画だけでなく,映画音楽の魅力も高倉さんに教わりました.今日は私の大好きな映画音楽を歌います.songs スペシャル薬師丸ひろ子 恩師・高倉健さんとの思い出を語る.女優として歌手として私が映画と共に歩んだ軌跡です.
先月,私は高倉さんとの思い出が詰まった町,金沢を訪れました.
「もうとにかく右も左もわからない,まったくふつうの女の子が,この金沢で,映画の撮影に参加して,デビューした.いろんな思い出が詰まっている町です.私のデビュー作「野生の証明」
知人が私の写真を応募したことで,偶然女優になった私.
「とにかく,芝居するのが,やったことがなくて,はずかしくて,いっつも,雨が降って撮影中止にならないかなって,ずっとそう思ってきて」
主演は日本映画界のトップスター高倉健さん(当時47歳),雲の上の存在です.私は両親を亡くした少女の役.その育ての親を高倉さんが演じました.
「ほんとの親子ではないシチュエーションですけど,でも心の通った関係性が,画面に現れるように,この金沢ロケ中,三食ずっとご飯もご一緒してくださって,なるべく13歳の女の子がそのままそこに撮し出させるようにと,工夫を随所にして下さっていたように,思います」
この金沢には高倉さんとの思い出の場所があります.
「あそこだ.そうですね.多分あそこで間違いないと思います」
宿泊していたホテルの近く.撮影の一ヶ月間,高倉さんと毎日通った喫茶店です.
「こんにちは,お久しぶりです」
38年前と変わらず優しく迎えてくれたのは,藤弥益美さん.高倉さんは撮影のないときはいつも私を連れてここでコーヒーを飲んでいました.
「その当時の私のことを覚えて下さっていますか?」「えー,もちろんもちろん,鮮明に覚えています」「どんな子どもだったんですか?」「大変だなって感じで」(恥ずかしそう横を向いて笑いながら)「何が大変だったんでしょう?」「まわりが全部,年上の男性ばかりで,幼い薬師丸さんがポツンといらしてて,それを健さんがリラックスさせる意味で,横に,こうして薬師丸さんをおいて,こうして優しく」
子どもだった私はコーヒーが飲めず,いつも高倉さんの隣で,ココアを飲んでいました.
「その当時と同じココアです.カップも」「わーほんとですか,ありがとうございます.いただきます」
「おいしいです」
(涙.手で拭きながら:このあと,最後までずっと潤んだ目のまま)「歌を聴くと,聴いていた当時に直ぐ引き戻されてくれるっていうのもあれですけど,こういう,いただくもの,食べたりするものっていうのも,本当にそうですよね,思い出が一緒に」「思い出しますか?」「思い出します」
「子どもの頃から,そんなに明るくて活発な子ではなかったんですね.おばあちゃん子で.愛想も言えないし,もちろん13歳でお世辞も言えないし,そういう所を高倉さんはすごく感じ取ってくれたみたいで,そばにいて,毎日おいしいお料理屋さんでご飯を頂いたり」
(映像:薬師丸さんの寝室に飾ってある写真:笑う薬師丸ひろ子さんを優しく見つめる高倉さん)
「こうやって喫茶店に毎日連れてきていただいたり,映画というとても夢のある仕事に対しての,いろんなお話を,その時も聞かせて下さったし」
ふだんは冗談を言ってなごませて下さった高倉さん.しかし,緊迫したシーンの撮影になると,まわりに人を寄せ付けませんでした.中でも,クライマックスに向け,気持ちを高めていく姿は,私の目に強く焼き付いています.
「子どもでも,それが,いつもと違うっていうことは分かる,側に寄るのも怖かった.私にもそういう姿を見せて,ある種の緊張感っていうか,そういうものを与えて下さって」
高倉さんに必死で食らいついて演じました.
(「野生の証明」映像「おとうさーん」「来るな」銃声,頼子撃たれて倒れる,抱きかかえて「頼子」「おとうさん,ありがとう」)
「すごくいい表情した.って,なんか,すぐおっしゃって,終わったあと,ホッとされた顔をしていたので,子供心にうれしかった.はい」
「一つの映画を作るのに,本当に仕事の時間,オフの時間を含めて,そういう時間をつくっていただいたというのは,最初で,最後のこと.でもそれが一番最初にあったから,そうですね,教えられたわけじゃなく,見せてもらったから,やっぱりちょっとでも近づけたら,近づけないかもしれないけど,私の,残像に残ってます.思い出と」
映画の主題歌「戦士の休息」愛する人との別れを歌ったこの歌が高倉さんはお好きでした.
今回高倉さんへの想いを込めて歌います.
「これ歌ったんですよって言ったら,なんておっしゃったかな?もし生きていらしたら.でも,これを歌うっていうことは回顧するだじゃなくて,なんか,これからも腹くくってやっていこうと思いますっていう,高倉さんへの誓いみたいな意味合いもあると思う」
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高倉さんが薦めてくれた映画「ディアハンター」
当時映画についていろいろ教えて下さった高倉さん.戦争で傷ついて兵士の物語「ディアハンター」を薦めてくれたことがあります.高倉さんはラストシーンの音楽の使い方に感銘を受けていました.
「最後に流れるこの音楽が,どこかやっぱり物語の救いになってるって,この音楽が大好きでいらしたんですね.ずっとそれが記憶に残って,聴いたときに,その光景を思い出すんですね」
高倉さんから教わった映画音楽の魅力,改めて聴くとやっぱりステキな曲が多いです.
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「もうやっぱりやめよう,一回自分をどこかで解放してみなきゃいけなかったんだと思うんです.---
こうやって自分が解放できれば,自分なりに,大人なんだし,やっていけるんだなって思って」
解き放たれたとき心に浮かんだのは,私に初めて映画の魅力を教えてくれた高倉健さんの姿でした.
そして一年後私は再び映画の現場に戻る決意をしました.今度は人に言われてではなく,自分の意志で女優の道を歩むと決めました.私の人生の転機にユーミンが送ってくれた大切な歌です.Wの悲劇.
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80歳を過ぎても生涯演じることをやめなかった,高倉健さん.まわりへの気配りを欠かさない人でした.
「あるとき春に『お茶を飲みましょう』と言って下さって,あんまり早すぎてもいけないし,ギリギリでもいけないし,と思って,20分位前に到着したら,『もう高倉さんいらっしゃってますよ』って,そこの方に言われて,『えーっ』て.桜が一番きれいに見える席をとって下さって,そこの窓を,全部開けて下さってて.何分位前にいらしたんだろう.人に何かをしてあげるというか,何かをするということ,本当にそれは心を込めて,何かをすることなんだっていうことは,私にして下さることじゃなくても,他の方にされることを見ても,全てが丁寧で,どうしてこんなに人に思いを寄せれるのかなって」
「本当に俳優さんとして素晴らしいのは皆さんご存じですけど,作品にのぞむ姿勢とか,だけど人としても本当に,本当に暖かくって,素晴らしい方だったなって思って」
私は幸運にも高倉さんの最後の現場を拝見することができました.
(撮影現場映像)高倉「どうしてラーメンを?」薬師丸「スタッフの皆さんには食べていただきました」高倉「すごいね.あんたが店を出すわけではないんだよな」薬師丸「まだ修行が足りないんで」
33年ぶりに私に見せてくれた演じる姿.それは私への最後のメッセージになりました.
「高倉さん専用のテントがあって,小さな小さなテントですけど,お一人がその中に入って集中できるように,その中でずっとセリフを何度も何度も繰り返して,言ってらっしゃる,高倉さんの声が外に漏れ聞こえてきて,そのすごみというか,私よりはるかに長い映画人生,俳優人生を送ってらしても,その最後に,まだ高倉さんが,映画というとても夢のあるその仕事に対しての,戦いを続けてらっしゃる.多分それが最後に私に教えて下さった,俳優としての生きざまかなっていう風に思いました」
気がつけば,私は出会った頃の高倉さんの年齢を超えてしまいました.今はあの頃の高倉さんの気持ちが分かるような気がします.
「やっぱり未知の世界に一人で飛び込んできて,そこで支えてくれる高倉さんがいて,自分が無我夢中でやって来たんだなって.今そういう若い女優さんでも若い俳優さんでもいっぱいいるし,みんなが不安に思ってたりとか,心配に思ってるようなことを,少し私が今度,すくい取れるんじゃないかなっていうふうに思いますし,夢のあふれる仕事なんだから,頑張ろうよって,もうそろそろ,そういう意識で,現場にも居なきゃいけないかなっていうふうに思います」
高倉健さんとの出会いで始まった女優としての人生.そして歌手デビューから35年がたちました.
原点の歌です.
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(薬師丸ひろ子さん.ここに貼り付けた旧バージョン,その後の録画,それぞれに良いのですが,この番組では,さらに格段に優れた歌唱力を披露してくれました)
熊蟄穴(くまあなにちっす)