「植物をたどって古事記を読む」シリーズ
今日とりあげるのは,「ひさご」.
漢字では瓢.ヒョウタンを意味します.
(瓠・匏もおなじく「ひさご」.どのように使い分けているのかよく分かりません)
“三浦祐介訳・注釈 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”によれば,「ひさご」は3回登場し,その内の二回はヒサゴバナ,一回が器としてのヒサゴとのこと.
ヒサゴバナは,十四,五歳の少年の髪型のことで,ヒサゴの花のような形といわれ,若いヤマトタケル(ヲウス)の髪型でした.
其の三 ヤマトタケルの戦いと—天翔ける英雄
より.
ある時に,大君(景行天皇)は,御子のヲウスに向こうて,
「いかなるわけで,そなたの兄オホウスは,朝と夕(よい)との御食(みげ)の席に参り出てはこないのか.そなた,ねんごろに(⇒*)教え諭してやりなさい」
と,こうかたりかけたのじゃ.
そのことがあって後(のち),五日を経てもオホウスはまだ出てこなかったのじゃった.
[そりゃ,そうじゃろう.父の大君に遣わされて女(おなご)を召し上げに行ったのに,おのれの妻にしてしもうたのじゃから.大君に顔を合わせることはできぬのう. (以上,語り部の独白として挿入)]
もう,この時には,オホウスはひとかどの男じゃったが,年の離れた弟のヲウスは,髪をヒサゴバナに結うての,ヤマトヲグナと呼ばれておったのじゃ.
父に命じられたヲグナ=ヤマトタケルは,この後,「兄が厠に入る時をねらって,待ち捕らえて摑み潰し,その手と足とを引きちぎり,薦(こも)に包んで投げ捨ててしまいました」と報告します.
凄惨な兄殺しが展開されるわけですが---
三浦氏は,上記引用文で「ねんごろ」と訳したことば(ネギ/ネグ)に対する行き違いがこのような行動と後の父と子の断絶を生じさせたと解説しています.
父の言葉は「もはら汝,ねぎ教覚へよ」(もはらいまし,ネギおしへよ).」
“父天皇は,ねんごろにオホウスを教えさとして食事にでるようにしむけよと命じたのを,息子は息子流の方法でねんごろに接したのである.「ネギ教覚へ」というたった一つの言葉に対する行き違いが,このあとの兄殺しへと展開し,父と子の決定的な断絶を生じさせてしまうのである”(三浦祐介氏による脚注)
ヤマトタケルの激しい気性は,「髪をヒサゴバナに結うて」いた時の兄殺しという行動で明らかになるのですが---
ヒサゴバナに話題を戻して
ヒョウタンはユウガオと同一種です.
ヒサゴバナ=ヒョウタンの花=ユウガオの花.
花は,清少納言が褒めています.実のほうは不細工としていますが.
夕顔は花のかたちも朝顔に似て,言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に,実の有様こそ,いとくちをしけれ.
などて,さはた生ひ出でけむ.ぬかづきといふ物のやうにだにあれかし.
されどなほ夕顔といふ名ばかりは,をかし.
(夕顔は花の恰好が朝顔にとてもよく似ていて、朝顔・夕顔と並べて続けて言ってもおかしくない花の姿をしているのに、実の様子がとても情けないのである。
どうしてあのような無様な実がなるようになったのだろうか。せめて、ぬかづきという物の実くらいであって欲しいと思うのだが。
しかし、やはり夕顔という名前だけは風情がある。)