日本の「産神」(エイレイテュイア番外編) 出産の女神エイレイテュイアは,古代ギリシャでは,重要な信仰対象となった女神でした.かつての日本にも,妊婦と生児を守ってくれる出産の神さまとして“産神”がいました.出産は穢れと考えられ,神仏は近づかないとされていましたが,産神だけは穢れを厭わず訪れる神と信じられ,出産が始まると来臨し3日目あるいは7日目ごろには帰ると考えられていました.

アポローンやヘーラクレースの誕生で名前が登場する出産の女神エイレイテュイア.

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/02/11/232656

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/02/14/001326

 

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EILEITHYIA - Greek Goddess of Childbirth (Roman Lucina)

 

ヘーラーの意を汲んで,レートーやアルクメーネーの出産を遅らせる役回りとして描かれていますが,古代ギリシャでは,重要な信仰対象となった女神でした.

 

“重要な信仰対象となった女神で,ギリシャ周辺に沢山の聖堂がありました.信仰の中心は,かの女の生誕の地とみなされているクレタ島のアムニソスの町でした.

エイレイテュイアは,出産を早め,陣痛を和らげるために,出産の苦しみにある女性たちから呼び寄せられました”

ILEITHYIA CULT - Ancient Greek Religion

 

出産は大きな喜びですが,同時に,妊産婦の苦しみを伴い,つい最近までは死とも隣り合わせ.古代ギリシャで出産の神が敬われるのは当然でしょうし,古代ギリシャに限らず,世界各地で同様の神への祈りがあったはず.

ということで,身近な日本ではどうだったのか,早速,調べてみることに.

 

日本における出産の神さま

エイレイテュイアと同じような出産・分娩の神さまは日本にいたのでしょうか?

答えはイエス

 

「出産の神さま」で検索すると,“産神”について解説したサイトがいくつか見つかります.

産神?

私は勉強不足で初めて目にする名前でした.ネット上の解説ではコトバンクのサイトに集められた事典/辞典の解説が分かりやすく,また信頼できる記載を思われました.

 

例えばブリタニカでは,

 

産神

産神とは - コトバンク

妊婦と生児を守ってくれるということで信仰された神.日本では産の忌があり,出産は穢れ多いものとして神参りを遠慮させられたが,産神だけは産屋の忌のなかへ入って守ってくれるものと信じられていた.東北地方では,山の神を産神として伝承しているが,これは山の神が女神でお産をするという考え方が根拠になっていると思われる.このほか産神として箒神,便所神,道祖神などが信仰されている.

 

民俗学の成果と思われる同様の記載は,他の辞典/事典類でも見られます.

改めて精選版日本民俗辞典(吉川弘文館)にあたってみました.

 

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以下,一部を省略/書き換えした抜粋です.上記ブリタニカの記載とほぼ同様なことが分かります.

 

うぶがみ 産神

(精選日本民俗辞典より抜粋)

出産の前後に出産の場に訪れて産婦と生児の安全を守ってくれる神.

出産は穢れと考えられ,神仏は近づかないとされているが,産神だけは穢れを厭わず訪れる神と信じられていた.産神としては,山の神,厠神(かわやがみ),箒神,産土(うぶずな)神(⇒*),オカマサマ,シャモジガミサマなど地方により様々で,これらの神が出産に関わって機能するとき産神とされる.産神は特定の神社にまつられたり,具体的な神体などがないことが多い.

産神はまた,生児に対してはその運命も司る神と考えられていた.昔話の「産神問答」(⇒**)のなかにその一端を見出すことができる.

産神は,出産が始まると来臨し3日目あるいは7日目ごろには帰ると考えられている.その後,生児は30日前後で宮参りをして,氏神の氏子にしてもらう.

 

⇒*うまれた土地の神 産土神とは - コトバンク

⇒** 産神問答とは - コトバンク

 産神問答 - 川俣町公式ホームページ 置賜平野の昔話2-産神問答- http://www.town.ama.shimane.jp/koho-ama/pdf/kouhou1205-2400.pdf

 

産神さまへの信仰が,現代日本で残っているのかどうかは調べることができませんでした.この日本土着の産神信仰はとても分かりやすく,古代ギリシャのエイレイチュイアへの信仰に通じるところがあるように思います.

 

なお,日本国語大辞典(下記①)によれば,産神という言葉自体は室町・江戸時代に記録が残っています.ただし,この時代の産神は,意味としては上記の産神と同じでも,特定の神社に祀られた神を指していたようです.同辞典では,今まで説明してきた産神の意味は②に解説されています.

 

精選版日本国語大辞典

産神とは - コトバンク

① 出産の前後を通じて,妊婦や生児を見守ってくれると信仰される神.妊娠や安産に効があると信じられている神.また,生まれた土地の守護神.著名な大社,村の鎮守,小祠など種々の場合がある.うぶのかみ.うのかみ.うぶすながみ.

十輪院内府記‐文明一七年(1485)五月九日「早旦参二詣今宮旅所一.余生神也」

※都鄙問答(1739)四「国本へ参り候所,産神(ウブガミ)へはまいり申さず候」

② 出産の場に立会い,見守ってくれると信じられている神.東北地方では山の神をこの神だとする信仰が強く,山の神が来ないとお産ができないなどといい,また,障子の桟や長持の上に腰かけているという伝承も広くある.あるいは箒神だとする信仰も広く,出産のさいに箒を立てたりする.うぶのかみ.〔日葡辞書(1603‐04)〕

 

一方,現代日本では,妊産婦の帯祝いの儀式や,各地の神社での安産祈願が広く行われているように思います.

帯祝いの儀式や神社での安産祈願が,いつ頃から日本の一般社会へ浸透していったのかを調べることはできませんでしたが,これらの儀式・祈願には,特定の「出産の神さま」の関与は無いようです.

 

“帯祝い”

(日本文化いろは辞典より抜粋 帯祝い|日本文化いろは事

帯祝いとは,「着帯〔ちゃくたい〕祝い」ともいわれ,妊娠5ヶ月目の頃の戌〔いぬ〕の日に胎児の無事な成長と安産を祈って岩田帯〔いわたおび〕を巻く儀礼です.犬は安産とされていて,それにあやかるために戌の日にこの儀礼を行うようです.

この「帯祝い」の風習は,平安時代にはあったとされていますが,正確な起源や由来はわかっていません.

古事記(712年)」には,神功〔じんぐう〕皇后が三韓征伐におもむいた時,ご懐妊中だったため,途中で産気づくことのないように,また帰国して無事出産できるようにという願いから腹帯を巻いたと記されており,このことから始まったのではないかといわれています.

また古くは,食物の禁忌や神社参拝を慎むなど,妊婦が忌む(※)べき物事は多かったようで,「岩田帯」をつける風習も妊婦にその自覚を促すものであったようです.

 

“安産祈願”

安産祈願がいつの頃から始まったのか,調べることが出来ませんでした.日本の神社は,願い事は何でも受けてくれるように思われる(私ひとりの思い込み?)ので,神社ができたときから,このような祈願自体はどこの神社で行われていたのではと思ってしまいますが----.

実際,現在では,御利益が大きいと宣伝している神社はあるものの,安産祈願自体はほぼ全ての神社で行うことが出来るようです.例えば,鎌倉八幡宮では,本宮で祈祷をうけ,お守り(安産守)を受け取ることが出来ます.

鶴岡八幡宮 安産祈願・戌の日について詳細|安産祈願・戌の日ドットコム

神社の系列の神々でも,安産の神に擬せられている神の名前があげられてはいます.(例えば,

安産の神の名前(五十音順)|日本神話の世界 参照.しかし,出産に立ち会うといった役割は認められず,民俗学が明らかにした産神や古代ギリシャの出産の女神とは大きく異なった神々と思われます.

このブログで何回か取り上げた鎌倉大巧寺(だいぎょうじ)はお寺ですが「おんめさま」としてしたしまれ,安産祈願で有名.お寺ではとても珍しいように思います.

大巧寺第五世住職であった日棟(にっとう)の時に産女の幽霊があらわあれ,その霊を法華経で救い,またかの女の願いを聞いて“産女霊神(うぶめれいじん)”を祀る宝塔が建てられたという言い伝えがあります.「おんめさま」は「お産女様(おうぶめさま)」を呼びやすい形にしたものとのこと.ここでは,お守りの他,安産腹帯なども授けてもらえるようです.安産祈願 - おんめさま 安産の神様になった産女の霊[おんめさま・大巧寺]|楽しい鎌倉