橘 ① 生食されたミカンの古名.② ミカン科の常緑低木/日本で唯一の野生のミカン. 古来,橘の実体に混乱が:中国での「橘」は,おそらくダイダイの類.「古事記」非時香菓(ときじくのかくのみ) は現在のタチバナではなく,おそらくコウジミカンもしくはダイダイ. 古事記「橘」:大君は,ある時,三宅の連らが祖(おや),名はタヂマモリを常世(とこよ)の国に遣わして,トキジクノカクの木の実を探させたのじゃった. そのトキジクノカクの実というのはの,今のタチバナのことじゃ.

古事記 橘1

「橘 たちばな」と聞いて何を思い浮かべますか?

 

私の場合は,なぜか名字でした.何をした人かは全く忘れていましたが

橘諸兄」.

普段全く考えたこともなかった名前!

橘諸兄」ってどんな人?

調べてみると,奈良時代のかなりの重要人物.名前を冠した歴史書も出版されていました.

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橘諸兄 (人物叢書) | 日本歴史学会, 順昭, 中村 |本 | 通販 | Amazon

 

その紹介文は

奈良時代の政治家.母の橘三千代の死後,臣籍降下して橘諸兄(もろえ)となる.

藤原四兄弟が疫病に倒れると政権の中枢に立ち,聖武天皇の度重なる遷都や東大寺大仏の造営など,天平期の諸政策を主導するが,藤原仲麻呂の台頭で失脚する.

五世王にすぎなかった諸兄はいかにして政界の頂点に登りつめたのか.」

 

また,日本国語大辞典には,紋所の名前「橘」の項に,橘諸兄の名が!

橘(読み)たちばな 

橘とは - コトバンク

精選版日本国語大辞典

⑤ 紋所の名.橘の葉と実とを組み合わせて図案化したもの.

橘姓(橘諸兄)の紋にはじまるといい,久世・井伊・黒田家と日蓮宗日蓮の出自は井伊家の分家の貫名家という)の紋となる.橘,向い橘,杏葉(ぎょうよう)橘,枝橘など種々ある.

 

やや,横道にそれてしまいました.

今日,話題としたいのは,植物としての「橘」.

日本国語大辞典によれば,この植物としての橘には大きく分けて二つの意味があります

 

橘(読み)たちばな 

精選版日本国語大辞典

橘とは - コトバンク

① 生食されたミカンの古名.キシュウミカンやコウジに類する.

京都御所の紫宸殿(ししんでん)の南階下の西側にある「右近(うこん)の橘(たちばな)」はこれという.《季・新年》

(ただし,紫宸殿の橘は,②の橘の栽培種との記載が他のサイトにありました)

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 日本の遺産・京都御所・紫宸殿・右近の橘・写真

古事記(712)中「其の登岐士玖能(ときじくの)迦玖能(かくの)木の実は,是れ今の橘(たちはな)ぞ」

※源氏(1001‐14頃)胡蝶「たちはなの薫りし袖によそふれば」

 

② ミカン科の常緑低木.日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え,観賞用に栽植される.----

肉は苦く酸味が強いので生食できないが,台湾では調味料に用いる.やまとたちばな.にほんたちばな.《季・秋》

※随筆・胆大小心録(1808)四二「この橘は今も東国にあるが,蜜柑のかたちで,苦味がつようて,うまい物ではなし」

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樹木図鑑(タチバナ)

 

そして,①の意味の橘は,「古来,実体に混乱がある」とのこと.

 

橘(日本大百科全書より)

タチバナとは - コトバンク

▽中国:

 ・周礼(しゅらい 前2世紀に編纂?)で取り上げている「橘」はおそらくダイダイの類.

 ・橘皮(きっぴ :現在の橘皮はミカン科のタチバナ,ウンシュウミカン,ダイダイなどの成熟果実の果皮を乾燥したもの )は古来から調味料や薬用に.6世紀『斉民要術(せいみんようじゅつ)』には詳細な記載が.

 

▽「古事記」「日本書紀」の非時香菓(ときじくのかくのみ) 現在のタチバナ(上記日本国語大辞典の②)ではなく,コウジミカンもしくはダイダイ.

 

▽「万葉集」の橘は花や実の美しさや香を楽しむ植物.果実は玉にして邪気を払うまじないに用いる.

 

橘は,花にも実にも,見つれども,いや時じくに,なほし見が欲し 大伴家持 (巻18-4112)

橘は,実さへ 花さへ,その葉さへ,枝に 霜降れど,いや 常葉の木  聖武天皇 (巻6-1009)

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2016/11/16/011331

 

▽御所の「右近の橘」は平安時代に成立.桓武(かんむ)天皇が紫宸殿の階(きざはし)の左右にサクラとタチバナを植えたのが始まり.

(「日本に野生する橘(上記日本国語大辞典②」の栽培種?)

 

日本のミカンや柑橘類の歴史を記した解説には必ず出てくる「古事記」に記された「橘」:「其の登岐士玖能(ときじくの)迦玖能(かくの)木の実は、是れ今の橘(たちはな)ぞ」

 は

イクメイリビコの大君(第11代 垂仁天皇 すいにんてんの)が永久の命を得ることができる木の実を探させた物語に登場します.

 

“三浦祐介訳・注釈 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”では,次のように現代語訳されています.

 

 さて,このイクメイリビコの大君の御代のことで,いま一つ語っておかねばならぬことがあるのじゃ.それはサホビメの出来事とは離れた伝えじゃ.

 

 大君は,ある時,三宅の連らが祖(おや),名はタヂマモリ常世(とこよ)の国に遣わして,トキジクノカクの木の実を探させたのじゃった.

この実を食べると永久の命を得ることができると言われておる木の実での,海の彼方の,誰も行き着くことのできぬ常世の国にあると言われておる木の実じゃった.

大君になると,尽きぬ命がほしくなるのかいの.この老いぼれなど,いつまでも生きていたいとは思わぬがの.

 

 仰せを受けたタヂマモリは,長い時を経た苦しみの末に,ようやくのことで常世の国に行き着いての,そのきのみを採り,縵八縵(かげやかげ),矛八矛(ほこやほこ)に作って持ち帰ってきたのじゃ.

縵(かげ)というのは,木の実を縄に下げて輪にしたものでの,矛というのは,串に木の実を刺し通したものじゃ.ほれ,干し柿を作る時にも,縄を輪にして下げたのと串に刺したのと,二通りの形にして神に供えるじゃろうが,あれと同じ形じゃ.

 

 ところが,常世の国から戻ってみると,大君はすでになくなっていたのじゃった.それで,タヂマモリは,その半ばの縵四縵(かげよかげ),矛四矛(ほこよほこ)を太后ヒバスヒメに奉るとの,残りの縵四縵(かげよかげ),矛四矛(ほこよほこ)を大君の御陵(みはか)の前に奉り置き,その木の実を捧げての,哭(な)きながら,

常世の国のトキジクノカクの木の実を持ち帰り上り参りました」と叫んだのじゃ.

そして,叫び哭(な)きながら.そのままの姿でタヂマモリも息絶えてしもうた.

永久の命を手に入れるための木の実じゃったが,行かせたものも行ったものも,死んでしもうたとはのう.

これが人の世の定めじゃ

 

 そのトキジクノカクの実というのはの,今のタチバナのことじゃ.