マスクには,日本語でも英語でも,さまざまな意味がある.英語の語意として最初にまとまってでてくるのが,「仮面・覆面」と(防毒・手術・防護用の)マスク」だ. そして,その次が「覆い隠すもの,ごまかすもの」.着用が常態化する中,我々はだまし上手になったのだろうか.むしろ,我々は,仮面を脱いだのではないだろうか.もう一つ思いついたことがある.「目は口ほどに物を言う」.これがいかに名言であるかをつくづく実感する.冷たい目・誠意無き目.キョトキョトした目.浜矩子 東京新聞

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マスクを着けて仮面を脱ぐ 浜矩子

東京新聞 2020年 12月27日(日曜日)

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 マスクに明け暮れた一年が閉じようとしている.コロナ感染拡大に歯止めがかからない今,マスクといえば,我々は直ちに口と鼻を覆うあのマスクを思い浮かべる.

だが,マスクという言葉には,日本語でも英語でも,実にさまざまな意味がある.

 

 国語辞典で「マスク」を引けば,まず筆頭に出てくるのが,「面・仮面」だ.「寒気やほこり,あるいはウイルスの感染などを防ぐために,口・鼻をおおうもの」は2番目だ.この意味のマスクは,冬の季語という注釈が付いている.

ところが,今年,我々は四季を通じてマスクを着用してきた.マスクが冬の風物に戻る日が早く来て欲しい.

 

 マスクの項に3番目に登場するのが「顔・容貌」だ.なるほど.確かに「甘いマスク」などという言い方をする.だが「辛いマスク」とは言わない.なぜだろう.

それはともかく,マスクの世界はどうもなかなか奧が深そうだ.

 

 英語の辞書もチェックした.

すると,まず,語源が十六世紀のアラビア語だという解説が出てくる.そのアラビア語は,maskaraだという.

意味は「道化師」.お化粧道具のマスカラも,この言葉から派生しているという.マスカラを着ける時,我々は道化師化しているということか.道化師は華やかだ.悪くない.

仮面舞踏会を意味するmasqueradeも,アラビア語の道化師が語源だ.

 

 語意として最初にまとまってでてくるのが,「仮面・覆面」と(防毒・手術・防護用の)マスク」だ.

そして,その次に「覆い隠すもの,ごまかすもの」が出る.この意味で,maskを動詞として使えば「隠す・うわべを繕う・隠蔽(いんぺい)する」の意になる.

masqueradeも動詞なら「○○のふりをする」などの意だ.なるほど.道化師は人を翻弄(ほんろう)する.

 

 マスク着用が常態化する中,我々はだまし上手になったのだろうか.隠し事がうまくなったのか.どうもそうではないように思う.

とんでもない災禍に立ち向かう中で我々は似たり寄ったりのマスクで口と鼻を覆うようになった.そのことで,むしろ,我々は,仮面を脱いだのではないだろうか.

そんなふうに感じる.

 

 日頃,我々はさまざまな役割仮面をかぶった状態で向き合っている.店員さん対お客さん,お巡りさん対一般市民,お医者さん対患者さん.

 

 誰もが,その役割仮面にふさわしい振る舞いをしなければいけないと思って行動している.それがこれまでの日常だった.

だが,みんなで同じ恐怖に駆られている時,我々はだまし合いや化かし合いをやめて,本音で寄り合う.そんな状況が現出しているのではないか.そう思うと,少し心が安らぐ.

 

 マスク着用ライフについてもう一つ思いついたことがある.

「目は口ほどに物を言う」.これがいかに名言であるかをつくづく実感する.マスクの中でいくら作り笑いをしても,目はその「偽笑」についていけない.

スカノミクスの親爺(おやじ)さんの目が,どんなに冷たい目であったか.どんなに誠意無き目であったか.今,それが実によく分かる.

前任者のアホノミクスの大将の目が,どんなにキョトキョトした目であったか.マスク着用で「桜を見る会・前夜祭」を語るかれを見ていて,それを改めて確認した.

 

 マスクを着けた我々は,さまざまな意味で仮面を脱いだ.

 

同志社大学教授)

2020.12.27

 

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