大波小波
健全なる身体,健全なる精神
東京新聞 2020年12月2日 夕刊
「それでもあなたが,神々に何かをお願いしたいのならば(中略),どうか,健全な身体に健全な精神を与え給えと祈るがいい」
古代ローマの詩人,ユウェナーリスはこう歌った(国原吉之助訳『ローマ諷刺(ふうし)詩集』岩波文庫).
神に祈るのは,それが現実にはなかなか得られないからである.
石原慎太郎は『文芸春秋』12月号に「三島由紀夫の『滑稽な肉体信仰』」という文章を寄せている.石原によると三島は「文学では天才だが,肉体の行使,つまり身体を使った運動については全くダメで,天才的に運動神経のない人だった」.
その劣等感が彼をボディービルや剣道に向かわせた.
しかし「変な肉体を持ったから持てあましてしま」い,行き着いたのが楯の会や割腹自殺だったというのが石原の見立てだ.
三島は健全な肉体を渇望するあまり,健全な精神も失ってしまったというのであろう.
だが,石原の,いかにも健全な肉体に恵まれた運動選手が,そうではない者について,見下し,嘲笑するような口ぶりは不快だ.
石原の文章そのものが,やはり健全な肉体を持っても,健全な精神を持つことは難しいことを示している.
(アイラー)
東京新聞 2020年12月2日夕刊
東京新聞 2020年12月2日朝刊