法解釈が八三年から一貫していることを示す記録:恐らく存在しない.国会審議を経て成立した法律の解釈を,政府部内の一片の文書で変更することは到底許されない.//五人の名前や業績は「承知していなかった」(首相)//首相の任命拒否は結局,多様性を奪っている.東京新聞社説.  「既得権益層」なる仮想敵(あるいは「藁人形」)を設定することで,自分たちと相容れない行政権力を攻撃する政治結社は,「改革」の名を借りた「一揆・打ちこわし」の扇動者だ.小田嶋 隆

学術会議問題 矛盾に満ちた首相答弁

東京新聞 社説 2020年11月5日

 

 日本学術会議が推薦した会員候補のうち六人の任命を拒否した問題.

菅義偉首相の説明は説得力を欠くばかりか矛盾に満ちている.なぜ拒否したのか.引き続き国会の場で明らかにする必要がある.

 

 菅内閣発足後,初の本格論戦となった衆院予算委員会はきのう二日間の日程を終え,論戦の舞台はきょうから参院予算委に移る.野党側による追及が続くのが,学術会議の会員任命拒否問題だ.

 

 首相による学術会議会員の任命について,政府は一九八三年,当時の中曽根康弘首相が「形式的にすぎない」と答弁するなど裁量を認めてこなかったが,菅首相は一転「総合的,俯瞰(ふかん)的な観点から」六人の任命を拒否し,その違法性が問われている.

 

 政府は,学術会議の「推薦通りに任命しなければならないわけではない」とする内部文書を二〇一八年に作成して,こうした法解釈は一九八三年から「一貫した考え方」だと説明している.

 立憲民主党枝野幸男代表はきのう,この法解釈が八三年から一貫していることを示す記録の提出を求めたが,政府側は示せなかった.

恐らく存在しないのだろう.

 この内部文書が過去に国会で説明され,審議された形跡もない.

国会審議を経て成立した法律の解釈を,政府部内の一片の文書で変更することは到底許されない.

 

 首相説明の矛盾はこれだけではない.

首相は「私が判断した」と言いながら,拒否した六人のうち五人の名前や業績は「承知していなかった」と答えている.

 

 また首相は任命拒否の理由に,会員に旧七帝大などが多く,大学の偏り解消や若手起用など多様性の確保を挙げたが,六人の半数は私大教授で,一人も会員のいない大学の教授や五十代前半の教授,女性も含まれる.

首相の任命拒否は結局,多様性を奪っている.

 

 そして最後は「公務員の人事に関わるので差し控える」と拒否の本当の理由を語ろうとしない.

 六人はいずれも安全保障関連法など安倍前政権の政策に反対しており,これが拒否理由だと勘繰られても仕方があるまい.

 学術会議の在り方検討を主張するのも論点のすり替えだ.六人の拒否ありきで,何を言っても後付けの説明にしか聞こえない.説明すればするほど矛盾が露呈する.

 首相は自らの非を認めた上で,あらためて六人を任命し,混乱を収拾するしか道はない.学術会議問題を通じて見え始めた強権的な体質も改めるべきである.

 

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「改革は待ってくれない」というのはウソ:日経ビジネス電子版

既得権益」という詭弁じみた言い回しに隠された意図

「改革は待ってくれない」というのはウソ 小田嶋 隆 日経ビジネスより

 

既得権益」は,その用語の成り立ち自体がトートロジー(同語反復)を含んでいる.というのも,当たり前の話だが,すべての「権益」は,原理的に「既得」だからだ.

 どんなものであれ,組織なり個人なりが保持している「権益」は,その組織なり個人なりが既に保持している時点で「既得」ということになる.

逆に言えば,特定の誰かに属していない「権益」は,「権益」の名に値しない.

 

 してみると,わざわざ「既得権益」という詭弁じみた言い回しを持ち出してそれを攻撃している人々の狙いは,「既に誰かに属している権益」を,おしなべて「不当に独占されている権益」に見せかけるところにある.

 

 かくして「既得権益」を攻撃する人々は

 「本来なら公共に帰すべき権益を不当に独占している人間たちがいる」

 というニュアンスを強調しつつ,その権益を既得権益者から引き剥がすことを,正当な権利奪還運動であるかのような語り口で喧伝するに至る.

 

 さらに,彼らは,自分たちの暮らしている社会を「既得権益層」と「無産階級」の二つの架空の集団に分断した上で,自分たちが持たぬ者たちの味方であるかのように,演出に沿って政治運動を展開する.

 「既得権益層」なる仮想敵(あるいは「藁人形」)を設定することで,自分たちと相容れない行政権力を攻撃する政治結社は,「改革」の名を借りた「一揆・打ちこわし」の扇動者だと言うこともできる.

 

 そもそもの話をすれば,「権益」が「権益」であり続けることは,社会の安定および行政の円滑な運用にとって不可欠な前提だ.というのも,「権益」には根拠があり,それを保持している人間(あるいは「組織」)は,それを保持する権利を与えられている存在だからだ.

 もちろん「不当に独占されている権益」が明らかになっているのだとすれば,それらは,排除されなければならない.

 

 しかし,その場合でも,既得権益者から権益を引き剥がすためには,法律の裏付けと,適正な行政手続きと,住民への十分な説明が確保されていなければならない.ここのところをおろそかにしたら,行政は,その時々の首長なり政権担当者の玩具になりさがってしまう.

 

 菅義偉総理が日本学術会議の提出した名簿通りの任命を拒絶した際に漏らした「前例踏襲で良いのか」という理屈も,維新流と同じトートロジーの典型だ.

 

 

 

 

菅首相が主張する学術会議の「既得権益」 本当にあるのか,いいがかりか

毎日新聞2020年11月6日

菅首相が主張する学術会議の「既得権益」 本当にあるのか、いいがかりか - 毎日新聞

 

 

 菅義偉首相が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題を巡る国会論戦で,政府・自民党が学術会議の組織のあり方への批判を強めている.菅首相予算委員会が始まった2日以降,「閉鎖的で既得権益のようになっている」と繰り返すようになった.一連の「口撃」内容を検証すると,こじつけや言いがかりのような主張も目立ち,会員らの間で「何の権益があるのか逆に聞きたい」と困惑が広がる.

 

偏る分野,たらい回し…具体性欠く政府の批判

 

 2日の衆院予算委.自民の大塚拓議員は,学術会議の会員が法・政治学分野に多いことをやり玉に挙げた.総務省の2019年度の統計「科学技術研究調査」では,国内の法・政治学の研究者は8177人,電気・通信は15万3942人いるとして「非常に偏った組織だ」と決めつけた.

 

 会員数は現在,「法学」「政治学」計16人に対し,「電気電子工学」は9人.大塚氏の主張に沿って単純計算すると,両分野の研究者から会員が選ばれる確率は33倍異なることになる.ただ,法・政治学の8177人は大学などに所属する研究者だけを数えているが,電気・通信の15万3942人は民間企業の研究者を含んだ数だ.電気・通信の研究者を大学などに限った場合は1万836人で,大きな差があるわけではない.

 

 矛先は会員の選考方式にも向けられている.大塚氏は210人の会員の多くが約2000人の連携会員から選ばれているとして「特定の既得権集団がポストをたらい回ししている」と指摘.菅首相も「(全国で約90万人の研究者が)会員,連携会員とつながりを持たなければ会員になれないような仕組みだ」と同調し,任命拒否を正当化した.

 

 実際はどうか.会員,連携会員を選考する仕組みは,現役の会員と連携会員が候補を推薦し,自ら選考する「コ・オプテーション方式」で,欧米のアカデミー(学術組織)も同様の仕組みを導入している.かつては全国の学者が投票して決める公選制だったが,1983年の学術会議法の改正で学会推薦に,04年改正で今の方式になった.

 

 会長が任命する連携会員は会員のサポート役として,課題別の委員会などに参加し提言の取りまとめなどの活動に携わる.以前は関連する学会の応援を頼っていたが,学会の関与を薄めるため,05年に新設された.任期は6年で2回の再任が可能だ.学術会議によると,10月に任命された新会員99人中72人が直前まで連携会員を務め,任命拒否された6人は連携会員の経験者だった.こうした実態も「閉鎖的で既得権益のようになっている」とする根拠のようだ.

 

 しかし,04年改正の背景には,推薦した学会への利益誘導を防ぐ目的もあった.元会長の大西隆・東大名誉教授は「コ・オプテーション方式は選挙や学会推薦に比べ,狭い世界の再生産になりがちという問題点がある」と認めた上で,「それを顕在化させないため,元々知った人以外にも業績のある研究者を掘り起こすことができるように選考方針を定め,幅広く選ぶ努力をしてきた」と説明.また人文・社会科学系のある会員は「会員として活動するには提言などに携わった経験がないと難しいので,結果的に連携会員で実績を積んだ人が集まる」と話す.

 

 一方,「既得権益」について,現役・元会員は「そんなものはない」と口をそろえて否定する.会員や連携会員に固定給はなく,委員会の出席手当(1回1万9600円)と旅費が出るだけだ.国の科学研究費補助金科研費)が得やすくなるといったメリットもないという.

 

 では,特定の学会に有利な提言や報告を出すことは可能なのか.現役会員は「提言を出すには何段階もの査読プロセスを経るので,恣意(しい)的なものが通るわけがない」と否定.大西氏も「利益相反にならないよう行動規範を定め,ヒアリングを公開するなどして透明性を高めてきた」と強調した.

【池田知広,岩崎歩】

 

提言能力めぐり認識の差も

 

 「コロナについての提言は7月まで全く出てこなかった」.2日の衆院予算委で大塚氏は学術会議の提言能力にも疑問を呈した.年明けから新型コロナウイルス感染症が猛威を振るったが,学術会議がコロナ関連で最初の「提言」を公表したのは7月3日.米国や英国のアカデミーと比べて情報発信の量もスピードも足りないと指摘したのだ.

 

 だが,学術会議側にも言い分はある.会議は3月,国民に向けて政府や自治体の感染拡大防止対策に協力を呼びかける「幹事会声明」を出し,さらに第2部(生命科学)に大規模感染症予防・制圧体制を検討する分科会を設置.7月には,感染症予防と制御を目的とした常設組織を内閣府に設置するよう政府に提言した.9月まで幹部職を務めた元会員は「政府の感染症対策専門家会議が活発に動いており,学術会議としてはより俯瞰(ふかん)的な視点からメッセージを出すべきだと考えた」と話し,本来の役割は果たしていたと反論する.

 

 学術会議は2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」が注目されたが,今年だけで68件の提言を出している.だが自民党は,日本学術会議法に基づく政府への勧告や答申が10年以上出ていないことを問題視し,会議のあり方を検討する党のプロジェクトチームが年内にも改革提言をまとめる方針だ.民営化論や独立法人化論も浮上している.

 

 並行して,河野太郎行政改革担当相も年間約10億円の予算の使い方などを検証する考えだ.約50人いる常勤職員の削減案も取り沙汰されている.

 

 しかし,予算やスタッフの削減は学術会議の提言機能をむしろ弱めると会員たちは懸念する.別の元幹部は「10億円の予算は米科学アカデミーが政府から受けている資金の約20分の1.さらに削られれば,提言の量も質も落ちる」と指摘する.15年に,科学技術担当相の下に設置された有識者会議の一員として学術会議のあり方を検証・報告した隠岐さや香・名古屋大教授(科学技術史)は「学術会議はお金が足りない組織で,今でも事務は手薄だ.あり方を見直すなら,グローバルに考えて他国と遜色のない体制にすることが望ましい」と語る.

【阿部周一,柳楽未来】