相模原殺傷事件植松被告に死刑判決 識者の見解 神奈川新聞
願いとほど遠い判決
重度の知的障害がある娘と暮らす和光大学名誉教授の
最首悟さん
私は裁判と公判を分けている.裁判は人を裁き,公判は犯罪に到った経緯を社会に知らせる追究の場.
今回は完全に裁判であり,障害者の家族,障害者問題に関わる人たちの願いとはほど遠い.
植松青年の考えがどのように形成されたのかということや,同調者が社会にいるということを少しずつでも明らかにしたかった.
一方で(障害者問題に触れなかった判決を見て)『おれを殺したのは動物』というような主張を今の法は扱えないとも感じた.
彼にはできるだけ生きてもらいたい,自分がしたことを理解してほしい.弁護団はぜひ控訴してほしい.
背景迫らず浅い裁判
NPO法人日本障害者協議会代表の
藤井克徳さん
判決そのものは予測の範囲だが,「重い障害者は生きていたも仕方がない」などという言葉と「植松」の名前だけが残っていくんだろうと思った.
裁判では被害者の「固有名詞」と事件の背景要因などの「争点」,そして事件の背景に迫らなかったという意味で「弁護」と,三つの不在があった.
障害者を閉じ込める事件が相次ぎ,中央省庁による障害者の水増し雇用問題などにも見られる優生思想,強い差別意識,隔離思想は続く.
だからこそ事件の背景に迫ることを一番期待したが.
浅い裁判だったという印象が拭えない.
本質的解決にならず
被告との接見を続けてきたノンフィクションライター
渡辺一史さん
当然の判決だが,本質的な解決にはなっていない.
裁判は被告の責任能力の有無のみが争点となり,動機形成のプロセスが見えないまま終わった.
これで死刑が確定する可能性が高いが,被告とのコミュニケーションを絶つことなく,まだ埋められていない問題を明らかにすることが必要だ.それはメディアの役割でもある.
そして私たち社会は,「障害者は安楽死させるべきだ」との被告の主張に真っ向から反論できる言葉を持たなくてはならない.
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