まだ八年 もう八年と 各々が 抱えて来たる この日々の嵩(かさ) 気仙沼市 わたなべちづこ
付き合いを 拒む如きに 表札の いずこにも無し 復興住宅 宮古市 かとうのぶこ
ここかしこ 被災地の秋を 塗り潰し 背高泡立草の 風にざわめく 伊達市 かんのふくえ
あの日から9年.
その年月を経た人々は,今,どんな思いを抱えているのでしょうか.
三十一文字の短歌に刻まれた言葉から,「復興」への思いをたどります.
三十一文字の思い
震災短歌からたどる“復興”
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=200&date=2020-03-07&ch=21&eid=14667&f=2381
NHK [総合] 2020年3月7日(土) 午後4:24~午後5:15(51分)
【朗読】知花くらら,河野多紀,【出演】生島ヒロシ,永田和宏,副島淳
: 音声抜粋(一部,まとめるために改変),テレビ画面上の新型ウィルス特設サイトのQRコードに隠されて漢字が不明だったため,一部の方の氏名をひらがな表記してあります.
あの店も あの道さえも 無き跡に 街は造られ 復興続く 気仙沼市 松下尚子(たかこ)
(松下さん「夫が震災で,車で運転中で亡くなりました.その幸町という地域のあるところで,車の中にいた夫を息子の手で見つけることが出来たんですけれど,その場所さえも,もう分からなくなるくらいに街が復興しました.復興してしまいましたという気持ちが本音です」
震災当時,松下さんは気仙沼市民会館の館長でした.続々と避難してくる市民への対応にあたる中,行方不明の夫を探しに行くこともできなかったといいます.
「対応することに精いっぱいだったので,その中で,夫のことを思い出して声を殺して泣く,という日が,市民会館の中で,事務室の中で続いて---」
夫が見つかったのは,震災から二十日以上たってから.運転席に座ったままの夫は,驚くほどきれいな姿だったそうです.
復興が進む中,今となっては,夫を見つけた場所が分からなくなったといいます)
あの時の あの思い出を 語り合い 励まし慰め 明日の糧とす 気仙沼市 松下尚子
(287日間,市民会館で被災者を支えた松下さん.最後の一人が去るのを見届けて,館長の職を終えました.
松下さんは,被災した人の心に寄りそう歌を作りたいと考えています.「この教訓を,命を守ることも,避難所の運営も,その後の復興も含めて,被災した人たちに最善の心を尽くすことも含めて,語り継げればいいと考えています」
松下さんは傾聴ボランティアという活動をしています.
新しい住まいに移ったものの,孤立したり,悩みを抱え込んだりしていないか.話に耳を傾け確かめます)
悲しくも 全て失い 無の中に 人の出会いという 花が咲く 気仙沼市 松下尚子
(この日,市内の災害公営住宅で,住民の集いが開かれました.松下さんが所属するボランティアグループは,各地を回って,こうしたイベントを開いています.参加したのは,この公営住宅に住む高齢者たち.ほとんどが,一人暮らしです.慣れない場所での暮らし.近所づきあいも薄くなり,ひきこもりがちな高齢者に,交流の場を提供しています.
「ものの復興は出来ているけども,一人一人の精神的な復興は完全ではないし,やっぱり9年の疲れ,9年の悩み,9年の悲しみは,深くなるけど拭い去られてはいない」
「一年に一回でも二回でもいいから,元気な顔を見たいというのが今の目標」)
九十一の われ三度目の 大津波 ながらえて見し この世の 無残 岩手県山田町 中村とき
(2013年に詠まれた歌.中村ときさんは現在100歳,昭和三陸沖地震1933年,チリ地震1960年,そして91歳の時に東日本大震災に遭遇しました.住んでいた家は土台だけ残して全てを失いました)
鎮魂の ともしびのごと 津波後の 原を埋めて 月見草咲く 岩手県山田町 中村とき
仮設にて 五年の日々を 思ふ時 よくぞ耐えしと 涙の出づる 岩手県山田町 中村とき
(新居に引っ越したのは,2017年.それまで5年以上,仮設住宅で暮らしました. その間も短歌を詠み続けました.そして,去年,震災前後を詠んだ歌集を出版しました.
「時代が進めば薄れていきますから,短歌を震災の記憶として書いておきたいなって思って.文章で綴る語り部のような気持ちです)
再建の 家に台風の 土砂入りて 人ら嘆かふ ふたたびの惨 岩手県山田町 中村とき
(2019年,台風19号.山田町の田の浜地区は大きな被害を受けました.津波を防ぐための堤防が雨水をせき止め,およそ70戸が浸水.「親類の家に水が入ったって聞いてびっくりしたんです.津波の時よりひどいって」
「心の悩みや悲しみを自分で吐きだすように,悲しいときも嬉しいときも,その思いを短歌に表して暮らしました.戦争の無い,災害の無い,平和な時代を祈っています」.100年の生涯で,何度も災害に見舞われてきた中村ときさん.これからも短歌を詠み続けます.)
女川の 入学式で 笑う子は 8年前の 津波を知らない 大谷高校2年 飯田愛香
群青の 真鯉は泳ぐ 空高く 磯の香りの しない場所まで 大谷高校2年 桝室愛生
復興が 進む海町 真っ新で 瓦礫もなければ 面影もなし 気仙沼高校2年 藤村莢杜
(短歌づくりが盛んな気仙沼高校.今回,震災を短歌に詠んだ文芸部員は,当時小学1・2年生でした.短歌を作るにあたり,幼かった当時の記憶と,改めて向き合いました.
「ちっちゃかったけれど,結構ショックで,おじいちゃんが『危ないから小学校に戻りなさい』といわれて助かった」
「みんなで寝たんですけど,カーテンを取って,布団がわりにして寝た経験もあって」
「子どもだったから,けろっとしていた気がするんだけど,それでも忘れている部分もあって,俺らより,小さい世代だと,完全に忘れている子も増えてくるだろうから,思い出せる人が思い出さないと,当時の記憶はすたれていっちゃうんだろうな」)
わが町の 幼き記憶 薄れゆく 復興ではなく 上書き保存 気仙沼高校1年 後藤華紗
(自分たちは,震災の前と後を知っている最後の世代かもしれない.一年生の後藤華紗さんは,薄れゆき記憶と復興への複雑な思いを,高校生らしい言葉で歌にしました.
「多分,ここら辺だと思います」.かつて住んでいた家があった場所.土が盛られ,道路が造られています.
「たくさん家が並んでいて,けっこう人もいてにぎやかでした.近くに公園もあったので,遊んだ思い出がたくさんあります」
かさ上げした高台に,新しく造られたさんさん商店街.後藤さんの父は,ここで,飲食店を営んでいます.
震災で家も店も失ったあの日,家族六人が,体育館に避難しました.失意の父,一美さんに前を向く力を与えてくれたのは,家族を思いやる小学一年生の娘でした.
「(体育館に避難した夜)家族が3人でも4人でも5人でも,ひと家族におにぎりの小さいのが一つ.よこされたんですよ.それで,娘に『おにぎり食べな』と言ったけど,お母さんのお腹に赤ちゃんがいたから,娘はお母さんを気遣って『私はいいからお母さん食べて』って言ったのが,それがずっと心に残ってます.その時は涙が出ましたね」「はい,ふふふふふふ」「多分今だったら,一目散に食べると思いますけど」
父・一美さんは,復興に向けて立ち上がりました.きっかけとなったのは,瓦礫の中から見つかった一本の包丁です.
「見習いのときに,給料安かったときに,奮発して買った包丁なんです.でも嬉しかったですね.包丁がなにか訴えかけてるような感じで.これでもう一回,料理を作りなさいと」
震災から四ヶ月,一美さんは揚げ物や総菜の移動販売を始めます.不便な暮らしを余儀なくされている人たちに,温かい食べ物を届けたい.自らも仮設住宅で暮らしながら,町内の避難所や仮設住宅を5年間回りました.
さんさん商店街に新しい店を構えたのは,3年前のことです)
変わらない 昔と同じ 父の味 潮水染みた 包丁握る 気仙沼高校1年 後藤華紗
(「この娘,砂糖を入れたのが好きなんです」.娘の大好物の卵焼き.仕上げるのはあの包丁です.
「はいどうぞ.久しぶりの卵焼き」「おいしそう」「大丈夫?」「うん」「おいしい?あっ,よかった」
町の人のために,身を粉にして働く父の背中を,娘は目に焼き付けていました.
「みんなを元気づけたいっていう思いとか,お父さんの行動を見て,かっこいいなって思ったし,自分たちも頑張らなきゃなっていうふうに思いました.お父さんやお母さんの世代の人は,やっぱり町のためにいろんな協力とかもしたりしているし,自分たちにもその番が来ると思うと,積極的に町のためにしていかなくてはと思います」)
「マニキュアは 自分を褒める証なの」 避難八年の 友はつぶやく 福島県福島市 鈴木文子
八年を 逢えないままの 友からの 電話に混じる 関西言葉 福島県相馬市 こおりかずこ
ご近所に 到来物と 配るリンゴ 八年経つも 産地は言えず 鳥取県大山町 荒井玲子
ガレキ取り 浦の清掃 重ね来し 海苔の漁師等 共に老いたり 福島県相馬市 菊池ヤス子