なぜ,中村八大は坂本九に注目したのか.「ニッコリ笑って,そこで人を引きつけるんだけど,奥にセンチメンタルなものがあって-」作詞を依頼したのは,永六輔.モチーフにしたのは, 60年安保闘争での挫折感.誰もが自分自身を投影できる詞を書き上げた.「『上を向いて歩こう』は,傑出して良かったわけよ」「バックビートでポップスが作れるぞっていうのは,多分,坂本九さんの歌い方がないとできなかったと思う」NHKアナザーストーリーズ「“上を向いて歩こう”全米NO1の衝撃」2

アナザーストーリーズ「“上を向いて歩こう”全米NO1の衝撃」1

坂本九の「上を向いて歩こう」. 全米で1位を獲得した日本の歌は,今も,この曲だけです.なぜ,日本語の歌が,全米を制したのか?世紀の名曲---その知られざる舞台裏. 学業とバンドボーイの二足のわらじ.寝る間も惜しんで,坂本はデビューのチャンスをうかがっていた.そんなある日,彼は自分の運命を変える一人の女性と出会う.曲直瀬(まなせ)信子.水原弘や森山加代子を世に送り出した敏腕マネージャーだった

曲直瀬信子「森山加代子がすごく売れていたとき,八大さんのコンサートに森山加代子を入れてくれって言って,打ち合わせに行ったらば,『ねえ,坂本九もどうだろう?』って言うんで,私ビックリしちゃって.

タイプじゃないからね,八大さんの.八大さんは,雪村いづみとか江利チエミとか,そういう歌手が好きだったから,坂本九っていうのは,全然違うからね.へ!?って思ったんだけど」

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アナザーストーリーズ 運命の分岐点 - NHK

アナザーストーリーズ「“上を向いて歩こう”全米NO1の衝撃」2

なぜ,中村八大は坂本九に注目したのか.

中村八大の息子,中村力丸.

中村力「『上を向いて歩こう』が初めて歌われた日の,父のリサイタルのパンフレットですね.

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もう,ほんとに大きな大きなきっかけになったことは間違いないと思います」

 

クラシックやジャズで培った経験を生かし,多くのヒット曲を生み出していたものの,当時の日本の音楽に,どこか物足りなさを感じていた中村八大.

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そんな中,ニューヨークを訪れた彼は,テレビから流れてきた音楽番組に大きな衝撃を受ける.

映し出されていたのは,ジミー・ジョーンズやコニー・フランシスといった人気ポップス歌手たちが,楽しく歌って踊る姿.

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音楽はもっと自由でいい.

刺激を受けて日本に戻った八大の目に飛び込んできたもの.それが,ブラウン管の向こうで活躍する坂本九の姿だった.

 

中村力「テレビに出ている坂本九さんを見て,ニッコリ笑って,そこで人を引きつけるんだけど,その奥に,センチメンタルなものがあって,さらに,みんなを味方に引きつけてしまう.

坂本九さんのそれまでにない感じ.あっ,これは何かこの先,日本で本当のオリジナルなポップスができるんじゃないかって思った」

 

マネージャーの曲直瀬(まなせ)は,中村八大からのオファーに一つだけ条件を出す.

坂本九の親しみやすいキャラクターを生かしてくれる人に作詞をお願いしたい.”

 

曲直瀬信子「八大さんだとね,とかく堅苦しくなるからね,だから,堅苦しくならないようにするには,あの家庭的な,お茶の間に直結するようなコマーシャルを書いた人,あの人に書いてもらえば,いい詩が書けるんじゃないかって.そしたら,八大さんは『それは永ちゃんのだよ』って」

 

坂本九のセンチメンタルな魅力を生かしてほしい」

中村八大が作詞を依頼したのは,テレビやCMの放送作家として活躍していた永六輔

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既に中村八大とコンビを組んでヒット曲を生み出していた彼は,作詞家としても注目を集める存在だった.

 

永がモチーフにしたのは,自身も傾倒した60年安保闘争での挫折感.

権力を前に,若者たちが無力さを感じていた時代.

上を向いて歩こう

涙がこぼれないように

 

永六輔は,あえて主語を使わず,誰もが自分自身を投影できる詞を書き上げた.

 

1961年7月2日 サンケイホール.

リサイタル当日.第3回中村八大リサイタルには,江利チエミザ・ピーナッツなど,人気と実力を兼ね備えた歌手たちが顔をそろえた.

披露される12曲は,その全てが中村八大による書き下ろし.

上を向いて歩こうができあがったのは,当日の朝.

楽譜を受け取った坂本は,本番,ギリギリまで練習を重ねる.

 

曲直瀬信子「それじゃあ,最初の8小節やってみようかって.上を向〜いて歩こう〜♪っていうと,上を向いて歩こう〜♪ 涙がこぼれないように〜♪ って.最後に大丈夫?って言ったら,『大丈夫 それじゃあ行ってきます』って」

 

19歳の坂本は,自前の赤いチョッキを着てそのステージに上がった.

舞台袖から見ていた東芝レコードの草野浩二は,その様子を,今も鮮明に覚えている.

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アナザーストーリーズ 運命の分岐点 - NHK

草野「九坊,緊張してましたよ.だって,ソロ,初めてだし,しかも,八大さんのリサイタルっていうので,しかも,他に,歌のうまい人たちがいっぱい出ている中でね.すごい緊張はしてましたよ.若かったしね」

 

しかし,いざ,歌が始まると,その曲は,共演者たちの間で,すぐさま話題となった.

 

曲直瀬「いろんな有名な歌手が,次から次へと出るわけじゃない?やっぱり,『上を向いて歩こう』は,傑出して良かったわけよ.全員がいいと思った.みんな」

 

しかし,ただ一人,納得のいかなかった男がいる.

作詞を担当した永六輔

彼は生前,その歌を初めて聞いたときの感想を,こう語っている.

永六輔「あの〜,歌ってみたら,ユニークな歌い方ではあるのね.ただ,日本語がきれいだったかっていうと,何だよ,この日本語はっていう思いはしました.だから,僕は,ひどいな,この歌,これでめちゃくちゃだな,と思いながらコンサートを一人であとにして帰ったのを覚えています.

良い歌だったのにな.あいつが歌ったために,こんなになっちゃって残念だな,この歌は,と思いながら,帰りました.

そのあと,『夢であいましょう』に,あの歌が登場してから,ああっという間にヒットしたときに,俺,全然わかってないなっていうふうに思った」

 

リサイタルで好評だった「上を向いて歩こう」は,中村八大と永六輔の出演する番組で,初めてお茶の間に流れる.

現存する,最も古い歌唱映像をご覧頂こう.(必見!ぜひ再放送かオンデマンドで)

 

永の予想に反して,放送後の視聴者からの問い合わせは,1万件を超えるほどだった.

なぜこの曲は,多くの人の心をつかむことができたのか?

中村八大が書き上げ,リサイタル当日に坂本九の手に渡った楽譜.

今も残る,基調は譜面に,そのヒントが隠されている.

 

「どうも今日は」

楽譜を読み解いてくれるのは,ドラマ「あまちゃん」や「いだてん」の作曲で知られる大友良英

「譜面の本物見るのが,むちゃくちゃ楽しみです」

取材者「リサイタル用の楽譜です」

大友良英「すごい,本物だよね.本物ですよね.鉛筆書きなんですよね,しかも.

ちょっと,貴重なので,あんまり指紋つけないように.すごい.これ,すごい.ほんとに.消しゴムの跡とかもあるよね.いい譜面ですよね.ものすごくいい譜面.分かりやすいし,読みやすいし.どうしたいか,すぐ分かる譜面ですね.うん」

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アナザーストーリーズ 運命の分岐点 - NHK

本番,数時間前に,坂本の手に渡った楽譜.

実はこの譜面,皆さんがご存じの「上を向いて歩こう」とは,節回しが違っている.

 

大友「これ最初に坂本九さんに渡された譜面ということなんですけど,だとすると,渡した時点では,今,僕らが知っている『上を向いて歩こう』とは,ちょっと違うんですよね.

僕らが知っているのは,「(休符)うえをむ〜いて」って,あの裏から入る.2拍目から---1拍目は休符で「(休符)うえをむ〜いて」が知ってるメロディーなんだけれど,これは,「う〜えをむ〜いて」.”う”が頭から入っていて,のびてるんですよ.そのあとも「あ〜るこ〜う」ってメロディーで.

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アナザーストーリーズ 運命の分岐点 - NHK

おそらく,当日あった坂本九さんとリハーサルしている中で変えたと思われる,ってことで.

これ,画期的なことで.

なぜかっていうと,僕,この曲の最大の魅力は,リズムにあると思っていて,日本のそれまでの歌謡曲って,ほとんど,頭にアクセントがくるんですよ.

2拍目がアクセントになってるっていうのは,すごく新しく聞こえたと思う.アメリカのジャズとかポップスは,2拍目,4拍目がアクセントなのね.んた,んた,んた,んた(指を鳴らしながら)」

 

中村八大が何よりもこだわったのは,坂本九ならではの魅力を最大限に引き出すことだった.

 

大友坂本九さんは,プレスリーとかロカビリーの影響を受けてたっていうけど,あの歌い方が“ウォウ ウォウ ウォウ ウォウ"って.あの,裏にもアクセントが入るように裏声を使うってうのは,バックビートでポップスが作れるぞっていうのは,多分,坂本九さんの歌い方がないとできなかったと思う.

で,そうやっておきながら,サビの所は“幸せは〜”ってもう,頭から堂々と入る.

アメリカのスタンダードナンバーで,すごくよくある手ですよね.

Aメロは2拍目,4拍目にアクセントを置きながら歌っておいて,サビになると突然うわ〜っていくっていう.その典型的なパターンを,ものすごくうまく日本の歌に入れていて.

しかもそれが実現したのは,坂本九さんだったからだと思う,あの歌い方があってこそだと僕は思います」

 

坂本は,初めて歌ったときのことを,こう語っている.

“いままでうたった

 どの歌よりも

 ボクの心に深く

 くいこんでくる歌だった”

(1967年 坂本九 後援会パンフレットより)

 

テレビ放送直後に発売されたレコードは,3ヶ月で30万枚以上を売り上げるヒットを記録.

さらに,東京オリンピックを翌年に控えた1963年.海の向こうから,坂本のもとにある知らせが飛び込んでくる.

(続く)