震災の子供たちの経験は,今,ほかの被災地でも,受け継がれようとしています.母と弟を亡くした長谷川元気さん(33)です. 東日本大震災の被災地を訪ね,遺族と交流を続けて来ました.「聞きたいことがありました.“今,幸せですか”って質問です.すごくシンプルですが」「いや〜,はい.フフフ.幸せです」「自信を持って幸せですか?」「そうですね.うん.やっぱり,すごい周りの人に恵まれたなって」NHKスペシャル あの日から25年大震災の子どもたち4

NHKスペシャル あの日から25年大震災の子どもたち

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http://www6.nhk.or.jp/special/backnumber/index.html

 

あの日から25年大震災の子どもたち1

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北川さんのように,あの日子供だった,およそ600人に初めての調査を行いました.

『震災を生きる力に変えてきた』.そう答えた人たちがいました.

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長谷川元気さん「(悲しむところを)あんまり見せることはなかったかな」打ち明けることができたのは,中学1年生の時.相手は,テレビ局のディレクターでした.小学校の担任酒井先生は,その成長を,そっと見守り続けていました.

「人との出会いの大切さであったりとか,そういうことを震災が教えてくれたな---」

 

あの日から25年大震災の子どもたち2

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震災の体験を前向きに捉えていない人が4割.しかし,”震災の体験を消し去ってしまいたい”に7割を超える人が「そう思わない」と否定.

内之宮継子さん「無かったことにできへん以上は,つきあっていくしかない」「お母さん役や,私が」「子供らしく悲しんだりしたら良かったのになって---思う」

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看護の仕事が変化をもたらします.「役に立てることに喜びを感じています」.震災を抱えて生きてきた自分を受け入れながら,これからを歩んでいこうとしています.

 

あの日から25年大震災の子どもたち3

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25年の歳月.子供が大人になり,社会的立場の変化をもたらす年月でもあります.結婚や子供の誕生によって,震災のとらえ方が変化している様子も見えてきました.

父を亡くした高橋朗さん.父が残した最後の言葉「息子たちをよろしく頼む」.

母に黙って,父が亡くなった店の跡地を訪ねていました.親になったことで,改めて向き合う亡き父の存在.

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震災から25年.自らが親になったことで,改めて向き合う,亡き父の存在.

今,父が残した最期の言葉をかみしめています.

 

朗さん「そのときの,“息子たちを任せた”という気持ちは,より分かるようになりましたね.悔しかったろうなって思います.小5,中1,中3ってね.今から社会に出たりとか,いろんなことをもっと見ていきたかったやろうなって」

 

あと5年で,父の年齢を超える朗さん.

父が歩めなかったその先を,自分の足で歩んでいこうとしています.

 

大人になり,親になることで変わっていく震災への思い.

多くの人が,そのことを実感していました.

 

 あの日から25年大震災の子どもたち4

子供が生まれ,当時の年齢と近くなるにつれ,こわい思いをさせないために,親がいろいろ気を配っていたのだろうなと感謝の気持ちが大きくなります.  35歳女性(当時小学4年生)

 

やはり,15歳の頃と,40歳の二児の母の今では,受け止めが全く違います.他人事ではなく,いつ誰もが「被災者」になりうることを子らに話し,自分のことをまず守るよう話しています.  40歳女性(当時中学3年生)

 

 

震災の子供たちの経験は,今,ほかの被災地でも,受け継がれようとしています.

(映像 宮城石巻 車中の長谷川元気さん)

母と弟を亡くした長谷川元気さん(33)です.

東日本大震災の被災地を訪ね,遺族と交流を続けて来ました.

 

長谷川さん「おはようございます.お久しぶりです」「ご無沙汰しております.どうぞ」

 

宮城県石巻市に住む,佐藤敏郎さん家族です.

次女のみずほさんは,震災による津波で亡くなりました(享年12)

 

当時,中学2年生だった,長女のそのみさん(23).

元気さんが,震災のあと,亡くなった母や弟の夢を見たと話したときのことでした.

そのみさん「(妹と)一緒に遊んでたりとか,夢の中で遊んでいても,必ず最後は“じゃあね”って消えていってしまうんですよね.例えば,小さくなっていったりとか.どっかに行っちゃったりとか.そういう夢を見るのが高校生の時は多かった」

 

そのみさんは最後にこう尋ねました.

そのみさん「聞きたいことがありました.“今,幸せですか”って質問です.すごくシンプルですが」

長谷川元気さん「いや〜,はい.フフフ.幸せです」

そのみさん「自信を持って幸せですか?」

長谷川元気さん「そうですね.うん.やっぱり,すごい周りの人に恵まれたなって.まあ,でも,やっぱりそうですね.今が一番幸せやなって思います」

 

 

北川景子「今回,私は改めて阪神・淡路大震災と向き合うきっかけをもらいました.

震災を経験した子供たち,一人一人が生きてきた25年の歳月.

その歩みが,ほかの被災地の子供たちの励みや道しるべになってほしい.

私は,そう強く感じています」