2016年7月,相模原市のの知的障害者施設で,入所者19人が殺害された事件,明日初公判が開かれます.植松聖被告は,一体,何故,このような事件を起こしたのか?裁判が近づくにつれて,被告の言葉に,変化が見られるようになりました.「アホなことしたなとは思います」「事件の時は,ちょっとおかしかった」奥田牧師「経済の格差の問題を越えて,生きていい人と,生きてはダメな人たちが,どっか明らかに分断されていく,そういう時代全体の中で,この事件をもう一度位置づけなおさないと,見誤るんじゃないか」

ニュースウオッチ9

NHK総合1

1月7日(火曜)午後9時00分~ 午後10時00分

f:id:yachikusakusaki:20200108122515j:plain

ニュースウオッチ9 - NHK

NHKオンデマンド|ニュース

2016年7月,相模原市のの知的障害者施設で,入所者19人が殺害された事件,明日初公判が開かれます.

殺人などの罪に問われている施設の元職員,植松聖被告は,「障害者は不幸しかつくらない」と主張し,社会を震撼させました.

その動機を掘りさげようと,私たちは本人への接見や手紙のやりとりを重ねてきました.

初公判を前に,事件が社会に投げかけたものを見つめます.

事件が起きたのは,当時150人あまりが入所していた津久井やまゆり園.

施設の元職員が,深夜,車で乗りつけ,複数の刃物を持って施設に侵入.意思疎通ができないと判断した障害者を狙い,19人を次々殺害するという,ニッポンの犯罪史上,例のない事件でした.

逮捕されたのは,当時26歳だった植松聖被告.一体,何故,このような事件を起こしたのか?

 

事件から1年半後,植松被告が,私たちの接見に初めて応じました.

接見室に入ると,深く一礼し,「よろしくお願いします」と述べた植松被告.終始丁寧な姿勢でした.

しかし,その口から出てきたのは,事件直後の供述と同じゆがんだ考えでした.

「重度の障害者は,存在自体が不幸をつくるんです.意思疎通ができない人は,人間じゃないんですよ.重度障害者には莫大なお金と時間が奪われる」

今の日本に,生産能力のない人間を支える余裕はないとする被告の言葉は,社会に波紋を投げかけました.

 

初めての接見から二年.

私たちは,植松被告と,20回以上の接見を重ねてきました.

裁判が近づくにつれて,被告の言葉に,変化が見られるようになりました.

「殺害したことが,正しかったのかはわかりません」

さらに,去年11月には,初めて後悔の念を語りました.

「後悔していることはたくさんあります.アホなことしたなとは思います」

事件当時の自らの精神状態についても,

「殺しているときには,確かに自分でもおかしかったとおもいます.事件の時は,ちょっとおかしかった」

 

死刑になるのが怖くて,責任能力がないとアピールしたいのではないか.

私たちの疑問に,被告はこう述べました.

「死が近づくと,若くして死ぬのは,もったいないと思うようになりました.裁判とか死刑というものが近づいてきて,罪は軽くなればなるほど良いと思います」

植松被告が語った反省とも取れる言葉は,心からのものなのか,裁判を見据えたものなのか,判断はつきませんでした.

 

この事件の意味を,社会全体で考えなければならないと,被告と接見する人たちも出てきています.

 

その一人,牧師の奥田知志さん.

一昨年の夏,被告と接見しました.

「“この今の社会において,役に立たない人間は死んでくれ”と君はそういう風に言いたいのかと聞いたらですね,“全くその通り”と.“役に立たない人間を生かしておく,そんな社会に余裕はないし,だから,役に立たない人間は,死んでくれと”

一人の異常な青年がやったことだと済ませてしまいたい気持ちは,皆あると思うんですよ.そうじゃなくって,あの事件が,何故この社会で起こったのかということを,今ちゃんと考えないと,いけないんじゃないか」

(映像 路上生活者に声をかける奥田さん)

「今晩は,ちゃんと生きてましたか?あとで」

長年,路上で生活する人たちの支援に取り組んできた奥田さん.

生産性で人間の価値を判断する,社会の空気を肌で感じていました.

「なんか,明日もっと寒なるらしいよ.気をつけて」

(映像 講演する奥田さん)

「家族の----」

今,各地で講演活動を行い,そうした空気が更に広がっているのではないかと,警鐘を鳴らしています.

「私たちは,生産性の圧力の中に,皆さんも私も暮らしている」

(映像 インタビューを受ける奥田さん)

「“LGBTは子どもをなさないから生産性が低い”という話が雑誌に書かれてしまうとか,先日も台風のね,台風19号のさなかに,避難所にホームレス状態の人が避難したんだけど,住民じゃないからという理由で避難所の利用を拒否される.

経済の格差の問題を越えて,存在,命自体の格差に広がってきてて,生きていい人と,生きてはダメな人たちが,どっか明らかに分断されていく,そういう時代全体の中で,この事件をもう一度位置づけなおさないと,見誤るんじゃないかと」

 

植松被告との接見の最後に,「事件前,あなたは役に立つ人間だったのか」と問いかけた奥田さん.

被告は,少し考え込み,こう答えたと言います.

「僕は,あまり役に立つ人間ではなかったです」

奥田さん「一歩こっちにいけば,価値のある人間なれるし,一歩こっちにいけば殺される側,価値のない人間になる.彼は,まあ,その分断点の上を綱渡りのように歩いていたんじゃないか.単に殺したかったとか,そんな問題ではない.やっぱり自分自身が役に立つんだよ.僕は生きてていい人間でしょ,と言ってもらう.そういう時代の欲求みたいなものが,彼の中に働いていたんじゃないかな」

 

明日から始まる裁判.

事件から社会は何を教訓とするのでしょうか?

 

植松被告は,今日(一月七日)も取材に応じました.

「法廷で,遺族や亡くなった人たちに対し,ただただしっかり誤ろうと思います」と述べました.

その一方で,「これまでの主張を取り消すつもりはない」とも話しています.

裁判は明日から始まり,三月に判決が言い渡される予定です.