子どもの頃,正月は松の内まで,と教えられた記憶があるせいか,「正月が 1月のことを指している!」 などとは,つい最近まで思いもつかないことでした.一月が正月の本義で,松の内は後に付け加わった意味でしょう.古今短歌歳時記では,睦月の別表記としてとして,正月,一月をあげ,これらも“むつき”とルビをふっています.正月立つ,春の初めに,かくしつつ,相し笑みてば,時じけめやも 大伴家持 万葉集

元旦は終わり,正月の2日目.古くは仕事始めとされていたようですが---現代は,三が日休日の方の方が多いでしょう.

 

子どもの頃,「いつまでがお正月?」と聞いたとき.松の内まで,と教えられた.

おぼろげながらですが,そんな思い出があります.

楽しいお正月がいつ終わるのか気になってからだったと思います.

 

f:id:yachikusakusaki:20200101102809p:plain

クロマツ(黒松) - 庭木図鑑 植木ペディア

松はカミの依代(よりしろ) - yachikusakusaki's blog

 

そのせいもあってか---

「正月が 1月のことを指している!」

などとは,つい最近まで思いもつかないことでした.恥ずかしいことですが.

 

正月 [広辞苑 第七版 2018年]

①1年の1番目の月.いちがつ.むつき.また,松の内をいう.新年.「―気分」「―の準備」

②喜ばしく楽しい場合.「目の―」

③「正月買い」の略.世間胸算用(2)「大分物入りの―を請けあひ

 

松の内」が正月の意味となったのは,そう古いことではなさそうで,あくまでも一月が本義で,松の内は後に付け加わった意味でしょう.

 

鳥居正博編集 古今短歌歳時記(教育社 1994年)では,その第一項が睦月(むつき).

睦月の別表記としてとして,正月,一月をあげ,これらも“むつき”とルビをふっています.

そして,その解説では,

 

“むつきは陰暦一月の古称.「むつびの月」ともいうように,家族や友人知己が親しく睦(むつ)ぶ月だとされる.

正月(しょうがつ)・一月(いちがつ)は音読みなので,古歌にはでてこない.

----中略

「正月」には,三が日や松の内の意もこめられ,「お正月」の語でいわれるように,正月の諸行事を連想させる語感が,後世では生じている.”

 

 

 “むつき”は万葉集でも詠まれています.現在は“正月”が当てられていますが,万葉仮名では「武都紀」「牟都奇」.

 

正月(むつき)/万葉集

1.

むつきたち,はるのきたらば,かくしこそ,うめををきつつ,たのしきをへめ

正月立ち,春の来らば,かくしこそ,梅を招きつつ,楽しきを経め  大弐紀卿(だいにきのまへつきみ) (巻五 八一五)

 

万葉集入門

正月になって新春がやってきたならこのように梅の寿を招いて楽しき日を過ごそう.

 

 

2.

むつきたつ,はるのはじめに,かくしつつ,あいしゑみてば,ときじけめやも

正月立つ,春の初めに,かくしつつ,相し笑みてば,時じけめやも 大伴家持 (巻一八 四一三七)

 

▽たのしい万葉集

正月の春の初めに,このようにして集まって共に笑い合えば,いつだっていいでしょう.

 

 

初春 / 万葉集

はつはるの,はつねのけふの、たまばはき,てにとるからに,ゆらくたまのを

初春の,初子の今日の,玉箒,手に取るからに,揺らぐ玉の緒  大伴家持 (巻二十 四四九三)

 

▽たのしい万葉集

初春(はつはる)の,初子(はつね)の今日,玉箒(たまばはき)を手に取ると,玉が揺れて音をたてます.

 

▽万葉秀歌 斎藤茂吉

天平宝字二年春正月三日,孝謙天皇,王臣等を召して玉箒(たまばはき)を賜い肆宴(とよのあかり)をきこしめした.その時右中弁大伴家持の作った歌である.正月三日(丙子ひのえね)は即ち初子の日に当ったから「初子の今日」といった.玉箒は玉を飾った箒で,目利草(めどぎぐさ 蓍草)で作った.古来農桑を御奨励になり,正月の初子の日に天皇御躬(み)ずから玉箒を以て蚕卵紙を掃(はら)い,鋤鍬を以て耕す御態をなしたもうた.そして豊年を寿(ことほ)ぎ邪気を払いたもうたのちに,諸王卿等に玉箒を賜わった.そこでこの歌がある.

現に正倉院御蔵の玉箒の傍に鋤があってその一に,「東大寺天平宝字二年正月」と記してあるのは,まさに家持が此歌を作った時の鋤である.

f:id:yachikusakusaki:20200102011709p:plain

玉箒 正倉院 - Google 検索


「ゆらぐ玉の緒」は玉箒の玉を貫いた緒がゆらいで鳴りひびく,清くも貴い瑞徴(ずいちょう)として何ともいえぬ,というので,家持も相当に骨折ってこの歌を作り,流麗な歌調のうちに重みをたたえて特殊の歌品を成就している.

結句は全くの写生だが,音を以て写生しているのは旨いし,書紀の瓊音※々(けいおんそうそう)[#「王+倉」,下-183-13]などというのを,純日本語でいったのも家持の力量である.

但し此歌は其時中途退出により奏上せなかったという左注が附いている.