競争の怖さ 自覚を
作家 雨宮 処凜さん(44)
相模原事件を考える 公判を前に
毎日新聞 2019年12月27日(金)
生産性がないと存在しちゃいけないという空気が社会にあり,心のどこかで「いつかこんな事件が起きる」と予兆のようなものを感じていました.
周りには植松聖被告(29)の主張を「否定しきれない」という人もいます.
この空気のおかしさを焼き付けておかないと,エスカレートしてしまうと思いました.
今,皆がつらい状況にあると思います.
マイノリティー性や弱者性がある人は何らかの支援の対象になり,特権を得ているように見られている.
かたや苦しいのに何の支援も受けられないと感じている人がいる.競争社会の中,負けたら自己責任で死んでくれと言われる.
そんな社会で生きるつらさが,不寛容な言葉に表れ,広がっています.
植松被告の背景には(平成不況にあおりを受けた)ロスジェネの私にも共通するような「剥奪感」が垣間見えます.
上の世代の厳しい状況を見ている分,勝ち残らないといけないという切迫感は私たちの比ではない.好景気も経験せず,何かあれば路上生活になるという空気がすり込まれています.
被告は事件後「社会の役に立ちたかった」と言っているそうです.
専門家らと話した中で印象に残るのが「植松被告はAI(人工知能)じゃないか」という考察です.
彼の発言はちぐはぐで,インターネットでランダムに流れてくる悪意ある言葉を浴びているうちに事件を起こしてしまったように感じます.
日本はこの20年くらい,全員が「負けたら死ぬ」というゲームに強制参加させられている状況です.その中で常に「自分はできる」とアピールしなくてはいけない.
そんな実験場のような場所だから植松被告のような存在が生まれたのかもしれない.
ただ,ゲームの怖ろしさを自覚すれば,そこから降りたり引いてみたりできます.
今の社会を生きる誰もが抱える「内なる優生思想」を暴走させないために,いかに過酷なゲームに参加しているのか,自覚を持ってほしいと思います.
【聞き手・国本愛】
あまみや・かりん
2000年に自伝的エッセー「生き地獄天国」で作家デビュー.「生きづらさ」をテーマに格差・貧困問題などに取り組む.近著に「この国の不寛容の果てに—相模原事件と私たちの時代」(大月書店).