ガガイモ(カガミ)2 長さ10センチのガガイモの実でできた船(アメノカガミ船)に乗ってきたスクナビコナ.誰も,この神の名前を知りません. そこで,「クエビコがかならずや知っておりましょう」と進言したのが,タニググ.タニグクはヒキガエルのこと.祝詞によれば,地の果てを支配する神.万葉集でも,「たにぐく のさ渡る極み」詠まれ,「ヒキガエルが這って行く地の果てまで」の意を表しているとのことです.“植物をたどって古事記を読む” ガガイモ

“三浦祐介訳・注釈 口語訳古事記[完全版]文藝春秋” をテキストとした “植物をたどって古事記を読む”シリーズ.

 

取り上げている植物は “ガガイモ(かがみ)”

 

オホクニヌシ(オホナムヂ,アシハラノヨコヲ)の国づくりを助けたスクナビコナ

長さ10センチのガガイモの実でできた船アメノカガミ船)に乗り,

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ガガイモ - Wikipedia

 

“ヒムシ(蛾か鳥の名前)の皮をそっくり剥いで,その剥いだ皮を衣に着て依り来た”「小さい大地の神」.

小人神でした.

 

本人は名乗ろうとしません.

そして,誰も,この神の名前を知りません.

そこで,「クエビコがかならずや知っておりましょう」と進言したのが,タニグク.

 

タニグク ヒキガエルのこと.祝詞によれば,地の果てを支配する神.(三浦祐介氏 脚注)

 

広辞苑では,ヒキガエルの古語とあります.

 

たに‐ぐく 【谷蟆】

ヒキガエルの古名.万葉集(5)「―のさ渡る極み」

[広辞苑 第七版]

 

万葉集でも,詠み込まれているんですね.

広辞苑にある「たにぐく のさ渡る極み」.これは,山上憶良,高橋連虫麻呂が使用している表現.

蟾蜍(たにぐく) - 万葉の生きものたち

 

万葉の表現からも,たにぐくが古事記で,“地の果てを支配する神”として描かれていることが納得できます.

 

▽この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ・・・・・

(山上臣憶良 万葉集 巻五 八〇〇)

・・・・・地上を照らしている日と月との下は,空の雲が棚引く果てまで,またヒキガエルが這って行く地の果てまで,天子様の治め給う秀れた国であるぞ.・・・・・蟾蜍(たにぐく) - 万葉の生きものたち

 

▽・・・・・山のそき 野のそき見よと 伴 の部を 班ち遣はし 山彦の 応へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国状を 見したまひて 冬ごもり 春さり行かば 飛ぶ鳥の 早く来まさね・・・・・

(高橋連虫麻呂 万葉集 巻六 九七一)

・山の果て野の果てまで見よと,配下の者どもをそれぞれの部署に着かせ,山彦の答える限りの地,ヒキガエルが這って行く限りの地までも,国の有様を御覧になって,冬ごもり春になったら,飛ぶ鳥のように早くお帰り下さい.・・・・・蟾蜍(たにぐく) - 万葉の生きものたち

 

 

この神について,

国学院・デジタルミュージアム万葉神語辞典は,次のように解説しています.

國學院デジタルミュージアム

 

たにぐく

谷蟆

Taniguku

ひき蛙.

古事記の神代では,大国主神の国作りの段において,少名毘古那神の名を明かす場面に「多邇具久」が見える.大国主神に従う諸の神は少名毘古那神の名を明かすことが出来ず,尽く天の下の事を知れる神である「久延毘古」によって,その名が明かされるのだが,久延毘古ならば知っていると注進する役割を多邇具久が果たす.

谷蟆とは,国土の隅々まで知り尽くした存在であるとするものや,地上を這い回る支配者とする解釈などがある.谷蟆は,地上の至る所に存し,それゆえ,地上のことを知る存在と認識されていたと考えられる.

これらは万葉集における「たにぐくのさ渡る極み」という語からもうかがえる.

万葉集では,「山上憶良の惑へる情を反さしむるの歌」において,「倍俗先生」と名乗り,俗世を離れたと自称する者に対して,地上の全ては天皇の支配領域であると諭す際に,「天雲の向伏極み谷蟆のさ渡る極み」(5-800)と見え,身体が地にある以上,天皇の支配領域以外の場所に存することは出来ないという意味であろう.

これは,天皇の地上における支配領域が谷蟆の渡るところすべてとする認識を基盤とする表現であり,その根底には,天孫降臨に先行して行われた大国主神からの支配権の献上という行為があると考えられる.  坂根誠 

 

なお,小学館・日本語源大辞典によればヒキガエルの語源説としては,

1. フクルルカヘル(ふくれるところから 日本釈名),

2. ヒキガヘル(這い歩くところから 名語記).

3. イキガヘル(気を吐くところから 滑稽雑談) 等があるそうです.

 

 

古事記

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神代編 其の四

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 オホクニヌシが,出雲の美保の岬にいました時じゃが,波の穂の上を,アメノカガミ船に乗っての,ヒムシの皮をそっくり剥いで,その剥いだ皮を衣に着て依り来る神があったのじゃ.オホクニヌシがその名を問うたのじゃが何も答えず,また,お伴の神たちに尋ねてみても,みな,「知りません」と申し上げるばかりじゃった.

 それで困っておると,タニグクが進み出て,

「この方のことは,クエビコがかならずや知っておりましょう」と,そう言うたので,すぐさまクエビコを召し出しての,お尋ねになると,クエビコは

「この方は,カムムスヒの御子,スクナビコナ様に違いありません」と答えたのじゃ.

 そこで,母神であるカムムスヒに申し上げると,お答えになることには,

「この子は,まことにわが子です.子供たちの中で,私が手の指の間から落としてしまった子なのです.どうかアシハラノヨコヲと兄弟となって,あなたの治める国を作り固めなさい」ということじゃった.

 そこでの,それからは,オホナムジとスクナビコナと二柱の神はともに並んで力をあわせ,この国を作り固めなさったのじゃが,あるとき,スクナビコナは,ふっと常世の国に渡ってしまわれたのじゃ.

 それで,そのスクナビコナの名と筋とを明らめ申した,あのクエビコは,今でも山田のソホドというのじゃ.この神は足を歩ませることはできぬが,何から何までこの世のことをお見通しなのじゃ.