ははか / うわみずざくら(2) 「うわみぞざくら」の変化した語で,昔,材の上面にみぞを刻んで占いに用いたことによる(日本国語大辞典).太占の薪として用いられていました.古事記では,この太占が,オモヒカネがアマテラスを岩戸から出すため“一芝居”のさなかに行われています.ここで行う意味が私にはやや分かりづらい.この“一芝居”がうまくいくかどうかを占っているようにも見えますし,太占自体も“一芝居”の一部であるようでもありますし---.植物をたどって古事記を読む(8) 

ははか(2)

 

“三浦祐介著 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”をテキストとした “植物をたどって古事記を読む”シリーズ.

 

昨日に引き続き,ハハカ.

ハハカは,植物「うわみずざくら(上溝桜)」の異名.

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 ウワミズザクラ - Wikipedia ウワミズザクラ(上溝桜) - 庭木図鑑 植木ペディア

サクラの名前の通り,バラ科 Rosaceae,スモモ属(サクラ属) Prunus.

ただし,下位分類では,一般のサクラが分類されるサクラ亜属ではなく,となりのウワミズザクラ亜属.

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https://www.researchgate.net/figure/Phylogenetic-relationships-of-Prunus-sl-based-on-a-concatenated-dataset-of-chloroplast_fig1_255954651
 

ウワミズザクラは,古事記では,鹿の角を使った占い=太占(ふとまに)で火を付けて用いられています.

ただし,このウワミズザクラ自体も,溝を刻んで占いに用いられていたとのこと.太占の薪としての使用と何らかの関連性をうかがわせますが---.

 

精選版 日本国語大辞典の解説

ふと‐まに【太占】太占(ふとまに)とは - コトバンク

〘名〙 (「ふと」は美称) 上代の占いの一種.ハハカの木に火をつけ,その火で鹿の肩の骨を焼き,骨のひび割れの形を見て吉凶を占う.太町.

古事記(712)上「天つ神の命以ちて布斗麻邇(フトマニ)に〈此の五字は音を以ゐよ〉卜相(うらな)ひて」

 

うわみず‐ざくら うはみず‥【上溝桜】上溝桜/上不見桜(ウワミズザクラ)とは - コトバンク

------「うわみぞざくら」の変化した語で,昔,材の上面にみぞを刻んで占いに用いたことによる.金剛桜.ははか.かにわざくら.めずら.うわみぞざくら.〔草木六部耕種法(1832)〕”

 

何を占ったのでしょうか?

天の岩戸の前で,うわみずざくらを用いて行われた太占は,オモヒカネがアマテラスを岩戸から出すため“一芝居”(⇒三浦祐介氏の脚注1)のさなかに行われています.

(太占をここで行う意味が私にはやや分かりづらいのですが---.この“一芝居”がうまくいくかどうかを占っているようにも見えますし,太占自体も“一芝居”の一部であるようでもありますし---.何らかの重大なことを起こすとき,儀式のように執り行う?「うまくいく」となれば,士気を高めることにつながることを見越して?)

 

以下,この“一芝居”の描写を “三浦祐介著 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”から.

アメノイワメが神懸かりして踊る場面までを引用して今日は終わります.注釈を大部分省いたので,分かりづらいところも多いかと思いますが,一部は明日転載の予定.

 

“三浦祐介著 口語訳古事記[完全版]文藝春秋

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さても困った八百万(やおよろず)の神がみは,天(あめ)の安(やす)の河のカワラに我も我もと集まり集(つど)うてきての,タカムスヒの子のオモヒカネ(⇒脚注1)に,どうすればよいかを思わしめることにしたのじゃった.

このオモヒカネはかしこい神での,思いをめぐらし考えに考えての末に,まず,常世の長鳴き鳥を集めて鳴かせたのじゃ.(夜は明けたということじゃのう.:訳者挿入)

 

そうしておいて(⇒脚注2),天の安の河上にある天の堅石(かたしわ)を取ってきての,天の金山(かなやま)の真金(まがね)を取ってきての,鍛人(かぬち)のアマツマラを探してきての,イシコリドメに言いつけて鏡をつくらせての,

つぎには,タマノオヤに言いつけて,八尺(やさか)の勾玉の五百箇(いほつ)のみすまるの玉飾りをつくらせての,

つぎには,アメノコヤネトフトダマを呼び出しての,天の香山(かぐやま)に棲む大きな男鹿の肩骨をそっくりぬきとっての,天の香山(かぐやま)に生えておった天のハハカを取ってきての,その男鹿の肩骨をハハカの火で焼いて占わせての,

天の香山(かぐやま)に生えている大きなマサカキを根つきのままにこじ抜いての,

そのマサカキの上の枝には八尺(やさか)の勾玉の五百箇(いほつ)のみすまるの玉をとりつけての,中の枝には八尺(やあた)の鏡を取り掛けての,下に垂れた枝には,白和幣(しろにきて),青和幣(あおにきて)を取り垂らしての,

そのいろいろな物を付けた根付きマサカキは,フトダマが太御幣(ふとみてぐら)として手に捧げ持っての,

アメノコヤネが太詔戸言(ふとのりとごと)を言祝(ことほ)ぎ唱えあげての,

アメノタジカラヲが,天の岩屋の戸のわきに隠れ立っての,

アメノウズメが,天の香山(かぐやま)の天のヒカゲを襷(たすき)にして肩に掛けての,天のマサキをかずらにして頭に巻いての,天の香山(かぐやま)の小竹(ささ)の葉を束ねて手草(たぐさ)として手に持っての,天の岩屋の戸の前にオケを伏せて置いての,

その上に立っての,足踏みをして音を響かせながら神懸かりしての,二つの乳房を掻き出しての,解いた裳(も)の緒(お)を,秀処(ほと)のあたりまで押したらしたのじゃ.

 

⇒脚注1 オモヒカネ

「思い」を兼ね備えた神の意で,抽象的な思慮の神.以下の行為は,すべてオモヒカネの思慮によって仕組まれた芝居であり,オモヒカネは脚本家兼演出家兼舞台監督の役割を兼ね備えた存在である.

 

⇒脚注2 そうして

以下,この段落の文章は,句点できることなく「〜して,〜して」と繋いで語っている.リズミカルな緊迫感のある語りの口ぶりを窺わせる.