レーベンスボルン7 NHKBS1「ヒトラーの子供たち」より(3)総集編−1 ナチスの様々な計画は,実は,一つの壮大なたくらみだったのです. その核心にあったのが,ナチスの子供たちをつくることでした. その子供たちが,いつの日か世界を征服し,ヒトラーこそが英雄だとたたえる日のために.ヨーロッパ各地に建てられたレーベンスボルンは,ゲルマン民族により多くの子供たちを提供し,最強の帝国を作ることを目的としていました.わずか10年で何千人もの子供たちが誕生しました.

NHKBS13/06(木)放映「ヒトラーの子供たち」より(3)総集編 −1

 

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NHKドキュメンタリー - BS世界のドキュメンタリー「ヒトラーの子どもたち」

 

ヒトラー「ドイツの若者諸君.君たちこそ,国の希望だ.いよいよという有事の際は,我が国の命運を,諸君が担うのだ」

1936年,ドイツ第三帝国

ヒトラーは,将来,世界を支配するべく優秀な人材を作り出そうと,大勢の子供たちを必要としていました.

 

ヨハン・シュプトー(歴史学者 ソルボンヌ大学教授)「命令を下したのは,ナチスの親衛隊と秘密警察のトップだったヒムラーです.その命令とは,ドイツにより多くの子供をもたらすため,国民に子づくりを奨励するものでした」

 

ハインリッヒ・ヒムラー.この男によって,ある驚くべき施設が数多く作られました.

「生命の泉」レーベンスボルンと呼ばれたその施設は,純粋なアーリア人の子供たちをつくることを目的とした,ナチスの出産・育児施設だったのです.

 

第二次世界大戦の調査ファイルの中に,真実を解明できる可能性があったにもかかわらず決して根底まで掘り下げられなかった項目があります.それはナチスの出産施設に関する項目でした.

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極秘の調査ファイルには,「将来,ドイツ軍の先頭に立って世界を支配するアーリア人をつくることが,この施設の目的だった」とありました.

 

ヒトラー単一民族国家を目指そう.若い諸君たちがその民族になるのです」

 

ヒトラーは,ドイツ人が他民族に駆逐されるのではないかという恐怖にとりつかれていました.そこでドイツ人を無敵にすること,彼の人種であるアーリア人の純血性を取り戻すことを自らに課します.

そのため,ヒトラーは国民に子どもを沢山つくらせたいと考えました.

生まれた純粋なアーリア人の子供たちからえりすぐって,優秀な兵士をつくること.それがレーベンスボルン計画でした.

ドイツ国内に10箇所ものレーベンスボルンができ,何千人という新生児が誕生しましたが,この計画は極秘で進行していたため,世間に知られることはありませんでした.

レーベンスボルンは貧困女性を支援するための施設として,表向き体裁を整えていたからです.

大戦後ナチスに関する書類が調査されたときも,この施設の目的を裏付けるような決定的な証拠は見つからなかったのです.出てきたのは名簿くらいのものでした.

しかし,注目すべき点が全くなかったわけではありません.

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ヒトラーの子供たち」より(1)イングリット・デフォー 

 http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/12/24/114002

終戦間近,ドイツ,シュタインへーリングの施設に入ったアメリカ兵たちは,ナチス親衛隊の気配を感じ,臨戦態勢をとりました.ある大きな屋敷で,アメリカ兵は驚愕します.そこに親衛隊の姿はなく,いたのは300人近い,見捨てられた子供たち.親衛隊は逃げた後でした.

 

ボリス・ティオレイ(ジャーナリストアメリカ兵たちは,そこを託児所か何かだと思いました.まさか純粋な人種をつくるという計画の拠点を発見したとは思いもしなかったのです」

アメリカ軍の計らいで,シュタインへーリングの司祭に託された子供たちはダッハウにある修道院に移り,連合国救済復興機関UNRRA(アンラ)によって,養育されることになりました.

UNRRAの担当者は,引き取ってすぐに子供たちの奇妙な行動に気づきます.

ボリス・ティオレイ(ジャーナリスト)「動物の群のように,一人が腹を空かせると,他の全員も空腹を訴え,一人が左へ動くと他も左へ動くのです」

その後,子供たちは純粋なドイツ人でないことが分かりました.他のヨーロッパ諸国の子供もおり,身元の特定は困難を極めました.

 

ジャーナリストのマーク・イレルとその妻クラリッサ・ヘンリーは,当時ドイツ赤十字に身を寄せたという一人の女の子に注目しました.彼女の名前はイングリット・デフォー.

 成長したイングリッド自身が出生の秘密を調べていました.彼女に連絡を取ったマークとイングリットは,イングリットの洗礼親からの手紙にあった地名(彼女が記憶していた)を手がかりにフランスにおけるレーベンスボルンの場所を特定しました.

そして,その実態が,マーク・イレルとその妻クラリッサ・ヘンリーにより,世間に知らされることになりました.

 

施設には,ヒムラーの命令に従った兵士たちが訪れます

クラリッサ・ヘンリー(作家)「それはトップシークレットでした.そこで若い娘たちがドイツ兵の相手をし,子供を産んでいたからです」

“例え,ドイツに妻を残してきたとしても,子どもをつくれ”という命令に従い,親衛隊員がこぞってフランスで一休みするなど,にわかには信じられないことです.

そして,ナチスによる厳格な審査で,フランスやヨーロッパ各地から選ばれた娘たちが,自らの意思で子供を産んで,第三帝国に差し出すのも驚くべき事です.

クラリッサ・ヘンリー(作家)「まず,親衛隊に会わせる若い女性たちを手配します.そして,純粋なアーリア人女性と純粋なアーリア人男性のためのパーティを催すんです.そこに集まる女性も男性も,人種という観点から,自分たちは価値があると認識していました.

しかし,祝福されて妊娠する場合ばかりとは限りません.望まない妊娠から生まれる子供たちもいました.その子供たちはレーベンスボルンに預けられるんです」

ヨーロッパ各地で同じように誕生した子供たちが何千人もいました.

しかし,ラモルレイの秘密が明らかにされたにもかかわらず,この件について世間の関心は低いものでした.

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ヒトラーの子供たち」より(2)アーウィン・グリンスキー 1

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/12/25/005933

この後も関係者の沈黙は40年続きました.

2010年,その沈黙を破り,ジャーナリストのボリス・ティオレイが,真相究明に乗り出します.

ボリス・ティオレイ(ジャーナリスト)「役所の記録には1944年に生まれたアーウィン・グリンスキーの名前が書かれていました.その男性に電話をかけたんです」

アーウィン・グリンスキー「ボリスは『自分がどこで生まれたか知っていますか?』と聞きました.私は『ムニエのチョコレート御殿で生まれたとしか聞いていない』と答えました.母はその件について語ろうとしませんでした」

ボリス・ティオレイ(ジャーナリスト)「記録は,1944年5月21日生まれに訂正されていたんです.出生地はラモルレイのムニエ邸でした.疑いの余地はありません.それこそ,レーベンスボルンのあった場所です」

 

ばらばらだった,アーウィンの記憶の断片がつながり,彼の忘れがたい過去がよみがえりました.

ヒトラーの子供たち」より(2)アーウィン・グリンスキー 2

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/12/26/014333

アーウィン・グリンスキー「出てきたのは写真の束だったのです」

ついに手がかりを発見したのです.ドイツ人の恋人とほほえんでいる母の写真でした.アーウィンはその男性を知りませんでした.

アーウィン・グリンスキー「母が笑っているところを生前には見たことがありません」

アーウィンは知りませんでしたが,背景はラモルレイの保育施設の庭だったのです.1944年の夏.つまりアーウィンが生まれた直後に,撮影されたに違いありません.

ボリス・ティオレイ「真実を知ったアーウィンが持った感情は,レーベンスボルンで生まれた人々が感じるもの,そのものでした.

彼らは,2つの思いに引き裂かれています.

1つは親を知りたいという思い.とりわけ父親をです.消息の分からないのは,圧倒的に父親の方でしたから.その多くがナチス親衛隊秘密警察の人間でした.ですから,一方で父親がナチスの戦犯だったらと恐れる思いも持っているんです」

アーウィン・グリンスキー「私の実の父親は,ドイツ赤十字の衛生兵です.ナチス親衛隊ではありません」「父が親衛隊員なわけありません.母は反ナチスだったんですから」

 

隣に座っているのは,施設を運営していたグルンヴァルト夫妻.グルンヴァルトは親衛隊の軍曹でした.エリザベスは分かっていたはずです.

アーウィンは全てを知り,家族の秘密が実は歴史上の秘密であったと認識しました.

それは世界の変革を望んだヒトラーの忘れられた秘密でした.これまで幾度となく浮かんでは消え,全貌が明らかにされることはなかったのです.

ヒトラーの望みは,絶対的な帝国の建設だけではなく,支配者たる人種の手にその帝国を託したかったのです.

それこそが,レーベンスボルン計画で生み出そうとした,純粋な支配者民族でした.

 

支配者には,それにふさわしい都が必要です.都づくりは喫緊の課題でした.首都ベルリンの陰鬱な感じを好まないヒトラーは,ベルリンの改革を命じます.

そしで,早速,建築家のアルベルト・シュペーアに目をつけました.ヒトラーシュペーアに,ベルリンを世界一偉大な首都に作り替えるよう求めたのです.

その首都をヒトラーゲルマニアと呼びました.

ヨハン・シュプトー(歴史学者 ソルボンヌ大学教授)「ゲルマニアとは,ヒトラーシュペーアが作り替えた新生ベルリンに付けようとしていた名前です.新しい第三帝国の新しい首都.ローマ帝国の再来になるはずでした」

 

ヒトラー帝国主義国家を目指していました.植民地を欲していたことはもちろん,そこで働く労働者も欲していたのです.

そして,その人的問題こそ,ナチスの闇だったのです.

ヨハン・シュプトー第三帝国の経済発展のため,奴隷として働かせる人々を必要としていました.その標的になったのが,ヨーロッパ東部に暮らす,スラブ民族でした」

 

ナチスはこの計画を長年温めていました.ヨーロッパ東部の領土化です.その方法は,ヨーロッパ諸国が,それまで行ってきたやり方と同じでした.

ヨハン・シュプトー(歴史学者 ソルボンヌ大学教授)ヒトラーは,東欧を空白地帯とみなしたんです.19世紀後半,フランス人やイギリス人がアフリカにとった考え方と同じです.

ナチスにとって東欧は18世紀から国際法で言及されてきた『テラ・ヌリウス=無主の地』,つまり誰のものでもない土地でした.ナチスの論理は.その地で人の姿をした2本足の生き物にあったとしても,それはスラブ人かユダヤ人であり,そういった人々は文化の創造を全くしていない,つまり,人間性を表現していないというものだったんです.

それが,ナチスが東欧を支配下に置く権利の拠り所となりました」

 

クラリッサ・ヘンリー(作家)ナチスは世界を支配する優秀な人種をつくりたがっていました.

その一環として,自分たちの基準とは合わない人々を,皆,排除しようとしたんです.ユダヤ人,ロマ,ロシア人など,沢山のスラブ民族が迫害されました.ポーランド人もそうでした.彼らは,ナチスのいう優秀な人種の奴隷になるのです」

 

ナチスの様々な計画は,実は,一つの壮大なたくらみだったのです.

その核心にあったのが,ナチスの子供たちをつくることでした.

その子供たちが,いつの日か世界を征服し,ヒトラーこそが英雄だとたたえる日のために.

 

ボリス・ティオレイ(ジャーナリスト)ナチスにとって,他民族の虐殺は第一段階.そう考えるとよく分かります.ハインリヒ・ヒムラーは1943年,東部戦線を訪れ,親衛隊に呼びかけた際,すでにユダヤ人のことを過去形で語っていました.

では,第二段階とは?それはナチスの基準でいう,いわゆる有害な,あるいは劣った人々を,全員地球から一掃し終わったあとのこと.

優秀な民族やレーベンスボルンの子供たちが有害な人々にとってかわり1000年続くであろう第三帝国を支配する時を指します.つまり,これはナチスの一千年計画なんです

 

ヨーロッパ各地に建てられたレーベンスボルンは,ゲルマン民族により多くの子供たちを提供し,最強の帝国を作ることを目的としていました.

わずか10年で何千人もの子供たちが誕生しました.第三帝国が千年続いたら,そのうち何人が世界の支配者になっていたでしょう.

 

ボリス・ティオレイ「どんなに理不尽であっても,ナチスの計画は親衛隊にとって,非常に重要でした.計画の遂行こそ,彼らの至上命題なのです」

 

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