女性は知人の言葉を忘れることができない.「お兄さんが亡くなって良かったんじゃない」この6月,女性は初めて取材に応じた.「私は,優しい兄が大好きでした」/ 「やまゆり」から地域へ 殺傷事件2年 がん患い 長男自立探る / 植松被告 主張変えず / 相模原殺傷2年「やまゆり園」解体進む 読売新聞 2018年7月26日

優しい兄 奪われた

殺傷事件2年 風化恐れ 思い語る家族

読売新聞 2018年7月26日 朝刊

 

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神奈川県相模原市知的障害者福祉施設津久井やまゆり園」で19人を殺害したなどとして,殺人罪などで起訴された元職員植松聖(さとし)被告(28)は,「意思疎通できない障害者は人間ではない」との主張を続けている.

事件から2年.憤りを抱えながらも,世間の差別や偏見を恐れ,口を閉ざす遺族はなお多いが,事件を風化させたくないと,胸中を明かしはじめた人もいる.

 

神奈川県に住む50歳代の女性は,事件で兄(当時55歳)を亡くした.

2016年7月26日.職員から連絡を受け,電車とバスで園に駆けつけたが,上半身を何度も刺された兄はすでに事切れていた.

 

「身内に障害者がいると周囲に知られたくない」.遺族らの求めに応じ,犠牲者や負傷者の実名は公表されなかった.女性の兄は葬儀場でも名前を伏せたまま,荼毘(だび)に付された.

 

「お兄さんが亡くなって良かったんじゃない.親御さんも,あなたも,大変だったでしょう」.

女性は,事件直後にかけられた古い知人の言葉を忘れることができない.何も言い返せなかった自分にも,いら立ちが募った.それでも,悲しみや怒りをのみ込み,報道陣の取材も拒んだ.

世間でどんな目で見られるかと思うと,どうしても怖かった.

 

兄は生まれてすぐに高熱を出し,知的障害が残った.会話はできなかったが,声の調子で喜怒哀楽を伝えてきた.幼い頃は,自宅前の手作りのブランコで,いつも遊んでくれた.

30歳代で園に入ってからも,慕う職員や友人と穏やかに過ごしていた.事件の半年前に他界した母が好きで,母が訪ねてくる日には,朝から部屋の前で待っていた.

 

事件後,そんな兄の命を奪った植松被告の言葉が連日報じられた,「障害者は周囲の人を不幸にする」.

女性は胸の中で違うと叫びつつ,そっとしておいてほしいと願った.

だが,時間が過ぎ,報道が減るにつれ,犠牲者のことが忘れられていくようで,心が揺れた.

 

今年2月,女性は横浜で開かれた講演会に出かけた.登壇したのは,兄と仲が良かった入所者で,事件で重傷を負った矢野一矢さん(45)の父・剛志さん(74).「被害者や家族が黙ってしまえば,植松被告の思うつぼだ」と,事件直後から実名を明かしてきた人だった.

 

「障害者も同じ人間です」.堂々とした尾野さんの姿に胸を打たれた.

講演後に声をかけると,尾野さんは「お兄さんに似てるね」とほほえみ,「人に話すことで,きっと前向きになれるよ」と言ってくれた.

 

この6月,女性は初めて取材に応じた.事件の裁判に参加し,思いを語るべきではないかと考えはじめているという.実名を明かす勇気はまだ持てず,植松被告のそばに立つことも怖い.

でも,これだけは自分の口で言いたい.「私は,優しい兄が大好きでした」

 

 

「やまゆり」から地域へ

殺傷事件2年 がん患い 長男自立探る

読売新聞 2018年7月26日 夕刊

 

神奈川県相模原市知的障害者福祉施設津久井やまゆり園」で2016年に起きた殺傷事件で,長男が重傷を負った尾野剛志(たかし)さん(74)は「重い障害があっても幸せに暮らせる」という強い思いを抱いている.殺人罪などで起訴された園の元職員植松聖(さとし)被告(28)にも,そんな思いをぶつけたいという.

がんを患い,自分抜きの長男の将来を考えるようになった結果だった.

 

尾野さんと妻チキ子さん(76)は,事件発生から2年となった26日午前,やまゆり園を訪れ,死者19人の冥福を祈った.尾野さんは「あっという間の2年だった.今もやまゆり園の記憶がある」解体中の園に目をやった.

 

事件後,尾野さんは障害者団体などから,「やまゆり園のような大規模施設は監獄だ」と言われてきた.批判の内容は,「決められたスケジュールがあり,自由がない」といったものだった.

だが,やまゆり園では事件当時,長男一矢さん(45)ら約150人の入所者が穏やかに暮らしていた.「大規模施設にも幸せはある」.尾野さんは反論した.

 

昨年夏,尾野さんは「重度訪問介護制度」を知った.介護者から24時間見守られることで,重度知的障害者でも一般住宅で暮らせる制度だ.厚生労働省によると,全国で約600人の知的障害者が利用している.「一矢にできるだろうか」.

事件で一矢さんは,首や腹に深い傷を負ったが,園の仮移転先ではやわらかな笑みを浮かべることが増えていた.

 

尾野さんの直腸がんがみつかったのは昨年11月.早期発見だった.

入院中,「自分が死んだらどうなる.一矢にとって幸せな生活とは何だ」と考えていた.

 

退院後の6月末,尾野さんはチキ子さんとともに,東京都内のアパートで一人暮らしをする知的障害者の男性(22)を訪ねた.

施設に入っていた頃は外出できず,イライラすることも多かったが,制度を利用してアパートに移ると,水族館に出かけたり,音楽を聞いたりするようになったという.母親から「地域に出て予想外の変化が沢山あった」と聞き,アパートを辞した2人は,顔を見合わせて大きくうなずいた.

一矢さんが伸び伸びと生きる姿が目に浮かんだ瞬間だった.

 

 

植松被告 主張変えず  接見・書面 取材に応じ

読売新聞 2018年7月26日 朝刊

 

植松被告は,昨年6月以降,拘留施設などで計13回にわたって取材に応じ,「意思疎通がとれない障害者は安楽死させるべきだ」と一貫して主張した.

事件について,「今の世の中では犯罪行為」との認識を示す一方,「裁判の結果,死刑になっても,いつか『あいつの主張は正しかった』と思われればいい」と語った.

 

読売新聞は,立川拘置所(東京)などで接見取材を5回,書面取材を8回行った.

植松被告の言葉づかいは常に丁寧で,接見時には必ず,「ご足労下さり,ありがとうございます」と深々と一礼した.伸びた髪を後ろで束ね,読んでいる本や筋力トレーニングなど,拘置所での生活を話すときには笑顔を見せた.

 

だが,事件に話が及ぶと,時折語気を強め,会話が困難な障害者のことを「心失者(シンシツシャ)」と呼び,「生きている意味が意味が一つもない」と繰り返した.

 

こうした思考が強固になった契機として,事件の約半年前の出来事を挙げ,「風呂場で溺れた入所者を助けたが,その家族に感謝されなかった.障害者はやっぱり必要ないなと思った」と説明.犠牲者の遺族には「突然(家族の)命を奪って申し訳なかった」と述べたが,被害当事者である入所者たちへの謝罪の言葉は一切なかった.

 

 

相模原殺傷2年 「やまゆり園」解体進む

読売新聞 2018年7月26日 朝刊

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https://www.yomiuri.co.jp/national/20180725-OYT1T50108.html

 

神奈川県相模原市知的障害者福祉施設津久井やまゆり園」で2016年,入所者19人が殺害された事件は,26日で発生から2年となる.

建て替えが決まった園は,居住棟などの解体が進む.元職員植松聖(さとし)被告(28)の公判は,日程が決まっていない.

 

事件当時,園に入っていた126人は現在,横浜市内の仮移転先などに移っている.21年度には解体跡地の隣接地にも入所者の選択肢を増やすための新施設が完成する.

園の前には献花台が設けられており,26日,黒岩祐治・神奈川県知事らが訪れる予定だ.

 

事件は16年7月26日未明に発生.19人に対する殺人罪,24人への殺人未遂罪などで,植松被告が17年2月に起訴された.同年9月,裁判員裁判の公判前手続きが始まったが,弁護側請求の精神鑑定が行われ,手続きは進んでいない.