「毎日,2人で子どもを楽しみにしていました. ある日,親戚に『あなたには子どもは育てられない』と言われ,むりやり病院に連れていかれました」「この法律がなければ,私たちの子が奪われることも,妻に子どもが望めなくなることもありませんでした」/  熊本の渡辺さんは,母親から子供の頃に睾丸摘出の手術を明かされ,打ちのめされた.「変形性関節症」と診断されていた10歳の頃,母親に連れて行かれた病院で手術された.毎日新聞2018年6月29日東京朝刊/6月28日東京夕刊

優生保護法を問う

中絶・不妊強制 天から授かった子,喜び暗転 「家族持つ権利奪った」 夫婦が提訴

毎日新聞2018年6月29日 東京朝刊

【日下部元美,清水晃平】

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 https://mainichi.jp/articles/20180629/ddm/041/040/194000c

 旧優生保護法(1948~96年)下で人工妊娠中絶や不妊手術を強いられ,憲法が保障する幸福追求権やリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)などを侵害されたとして,北海道の夫婦と熊本県の男性の男女3人が28日,国に総額5500万円の損害賠償を求めて札幌,熊本の両地裁にそれぞれ提訴した.

提訴後,夫婦は誰にも言えなかった苦しみをつづった手記を公表,熊本の男性は実名で記者会見に臨み,人生を奪われた悲しみを訴えた.

一斉提訴は5月に次ぐ第2陣で,西日本では初.原告は計7人となった.

 

原告,計7人に

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https://mainichi.jp/articles/20180628/dde/041/040/024000c

 中絶と不妊を同時に受けた被害者の請求は初めてのケースで,この北海道の女性(75)の夫(81)も家族として初の原告となり,「家族を持つ権利を奪われた」と訴えた.

熊本の男性は渡辺数美(かずみ)さん(73)で,睾丸(こうがん)の摘出を受けており,「生殖腺の除去」を禁じた旧法違反の手術とみられる.

3人は,旧法が96年に母体保護法に改定された後も救済措置を取らなかったとして,国や国会の不作為も追及する.

 

 訴状によると,北海道の夫婦は計2200万円を請求.

妻は乳児期にかかった熱病が原因とみられる知的障害があり,30代で結婚,4年後に妊娠したが,本人の同意がないまま病院で中絶と不妊の手術を同時に強制された.

夫は障害がなく,親族らの説得でやむなく妻の手術に同意させられたとしている.道などに手術記録は保存されていなかったが,弁護団は夫の詳細な証言があるとしている.

 

  熊本の渡辺さんは3300万円を請求.

10歳の頃,母親に連れて行かれた病院で,何も知らされないまま睾丸を摘出された.知的障害や精神障害はなかったが,「変形性関節症」と診断されていた.

手術を受けた病院は廃院でカルテなどは残っていないが,弁護団は「『優生手術を受けた』と(渡辺さんの)母親が証言しており,国の責任を問える」と判断した.

 

 障害や性に関わる被害は名乗り出にくく,夫婦は居住地域で手術の事実を知られたくないとして匿名報道を希望.渡辺さんは実名公表に踏み切った.

 

 疾患の遺伝性を理由にした旧法下の中絶は日本弁護士連合会によると49~96年に5万1276件.全国の自治体には妊娠判明を機に中絶と不妊を同時強制された障害者らの記録も確認されているが,「望まぬ中絶」の実態は不明だ.北海道の夫婦の提訴は訴訟に広がりをもたらしそうだ.

 

 

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https://mainichi.jp/articles/20180628/dde/041/040/024000c

「被害に光を」決意固め

 「手術された当事者と同様に家族も被害者だ」.北海道の夫婦の弁護団は提訴後,札幌市内で開いた記者会見でそう強調した.

 弁護団によると,2人は堕胎された子どもの命日に当たる6月12日に供養を続けてきた.「あまりに苦しい思い出」のため,当時のことを互いに口にすることができなかったが,37年近くが過ぎ,不妊手術を強いられた障害者らが声を上げ始めたことを新聞報道で知った.

 2人は胸の内を語り合い,意を決して弁護団と連絡を取った.弁護士との面会で最初はにこやかだった妻は,手術の話になると嗚咽(おえつ)を漏らし「夫と子どもを育てたかった」と声を絞り出した.中絶に同意したことを後悔していた夫は「やっと妻を救える」と手記にしたためた.弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士は「子を持つかどうかは夫婦で決めるべきことなのに国が介入した」と憤り,旧法下の強制中絶にも光を当てるよう訴える.

 

北海道の原告夫婦 手記

 28日に札幌地裁に提訴した,北海道の女性(75)と夫(81)が手記を公表した.女性は「子どもを夫と育てたかった」と癒やされることのない悲しみをつづった.手記の要旨は次の通り.(原文を尊重しています)

 

原告女性 

 夫と結婚して妊娠がわかったとき,うれしい気持ちでした.毎日,2人で一緒に子どもを楽しみにしていました.

 ある日,親戚に「あなたには子どもは育てられない」と言われ,夫が働きに行っている間にむりやり病院に連れていかれました.説明もなく,手術のきずあとはその後もずっと痛みました.男でも女でも産みたかった.私を大事にしてくれる夫との子どもを2人で一緒に育てたかったです.子どもをおろされ,子どもを産めなくなりました.今でも悲しい,悔しいです.

女性の夫 

 私の妻が堕胎させられ,強制不妊手術を受けたのは昭和56年(1981年)6月12日でした.結婚して初めてできた子で,私は40歳を過ぎていたから諦めかけたころに天から授かった子です.私と妻は手を取り合って喜びました.

 妻の手術が行われた日,仏具店に行き,白木の位牌(いはい)を買ってきました.37年過ぎた今でも毎日を妻にわびる心情で過ごし,後悔しています.

 妻と私は手術を受けてから手術のことを話せませんでした.新聞で取り上げられ,やっと妻を救ってもらえると思いました.この法律がなければ,私たちの子が奪われることも,妻に子どもが望めなくなることもありませんでした.この悪法でどれだけの国民の命が奪われたのでしょうか.

 わが子を奪われた私たちの悔しさ,悲しさを裁判で問いたいのです.同じ立場に立たされている人たちにはどうか勇気を持って立ち上がってほしい,一緒に闘ってほしいと思います.

 

 

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https://mainichi.jp/articles/20180628/dde/041/040/024000c

  一方,熊本地裁に提訴した渡辺数美さんが実名を明かす決意をしたのは「声を上げられない被害者に光が差すよう,真っ正直に国と闘おう」と思ったからだった.

弁護団長の東俊裕弁護士(65)も小児まひの影響で足が不自由な障害者だ.提訴も車いすで駆けつけた東弁護士は「過去のことでもけじめをつけなければ.それが障害者を取り巻く現在の社会を考えるきっかけになる」と言った.

 

熊本,実名で「国は謝罪を」

優生保護法を問う

何のため生まれた 結婚断念,自殺も考え 一斉提訴

毎日新聞2018年6月28日 東京夕刊

 

 人生が終わったと思った--.

 熊本の渡辺さんは,母親から子供の頃に睾丸(こうがん)摘出の手術を明かされ,打ちのめされた.結婚を諦め,体調不良が続き,自殺も考えた.渡辺さんは塗炭の苦しみを知ってもらおうと実名の公表に踏み切った.

 渡辺さんは午前11時過ぎ,国の責任を指弾する横断幕を掲げた弁護団と地裁に入った.

「変形性関節症」と診断されていた10歳の頃,母親に連れて行かれた病院で手術された.その影響とみられる成長ホルモンの過剰分泌で190センチを超えた身長は今も伸びている.ホルモンバランスの不調による骨粗しょう症にも長年悩まされ,数年前には歩行中に右大腿(だいたい)骨が折れた.

 「楽しいことより苦しいことの方が多かった」.渡辺さんはそう振り返る.15歳ぐらいの頃,自分だけ声変わりしないことなどを疑問に思って母親に尋ねたところ「優生手術を受けた」と打ち明けられた.子供を作ることができないと知り「終わった」と思った.

 成人してからは真剣に結婚を考えた女性もいたが,子供ができないことを理由に自ら身を引いた.首をつって死のうと考えたこともあるが,生んでくれた両親を思い,死にきれなかった.

 「人並みの人生を送らせてやれなくて,すまなかったね」.優生手術を受けさせたことを謝り続けた母が約20年前,亡くなる直前に残した言葉が今も胸を締めつける.

 「自分は何のために生まれてきたのか」.常に自問してきた.自分と同じように不妊手術を受けさせられ,苦しんだ人たちがいることを知って提訴を決意.失った時間は取り戻せないが,提訴後に「残り少ない人生.国に一言謝ってもらいたい」と訴えた.

【清水晃平】