茶5 煎茶も烏龍茶も紅茶もチャノキから.植物種としては一種類ですが,栽培品種は多種多様.大別するとアッサム種と中国種./ 日本における茶の歴史(主に伊藤園のサイトから) 

「ウーロン茶と紅茶っていうのは,また違うもんじゃないですか?」

 「一緒のものなんです.もともとは葉っぱは同じもの.お茶の葉っぱなんです」

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/06/26/032714

yachikusakusaki.hatenablog.com(横から梅沢さん)「そうなんです」

 「ちょっと待って下さい.いやいや,『そうなんです』って.こっちの,かしこグループに入るの止めて下さい.腕組んで!」(笑い)

 

ウーロン茶と紅茶って,緑茶と同じ葉っぱからできるんですって.

 

「これがだいぶ発酵が進んでる状態,前日に摘んだ葉で,こっちが朝摘んだ葉で嗅いでもらうと違うんですよね.

前日に摘んだ葉は花のような香りで,摘み立てはあまり香ってない」

 

お茶の葉っぱは,摘んだ瞬間からどんどん発酵が進んでいきます.

この発酵具合がお茶の違いになるそうなんです.

 

発酵をさせずにつくるのが緑茶(不発酵茶).

葉っぱを十分に発酵させると紅茶になります.

ウーロン茶はちょうどその中間くらい.

 

「ツバキ科ツバキ属常緑樹のチャノキ(茶の木、学名:Camellia sinensis)から,ウーロン茶も紅茶もつくられます」

 

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お茶の製造工程|お茶ができるまで|お茶百科 烏龍茶の製造工程|お茶ができるまで|お茶百科 紅茶の製造工程 荒茶工程|お茶ができるまで|お茶百科

 

ただし,

同じチャノキにもいろいろな栽培品種があります.

 

現在の栽培種は大きく二種に大別できるとのこと

Camellia sinensis - Wikipedia

アッサム種

C. sinensis var. assamica カメリアシネンシスバラエティアッサミカ)と

中国種

C.sinensis var. sinensisカメリアシネンシスバラエティシネンシス)

 

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Green Tea - Discover What, How, When, Where and Why?

Comparative analysis of the response and gene regulation in cold resistant and susceptible tea plants - Semantic Scholar

 

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茶樹と品種|お茶ができるまで|お茶百科

 

アッサム種は紅茶に適します.

日本の緑茶は,基本的に中国種に属し,日本で栽培されている緑茶用のチャノキには,それぞれ特徴を持った様々な品種が知られています.

代表品種は,明治から昭和の初期に選抜された「やぶきた」.名前は,「“竹やぶの北側”に植えられた」ため!

日本の緑茶の主な品種|お茶ができるまで|お茶百科

 

 

日本におけるお茶の歴史

上記の主な引用先の伊藤園のサイトには,お茶の歴史についてもかなり詳しい記述があります.

お茶の発祥|お茶の歴史|お茶百科 日本でのお茶の歴史|お茶の歴史|お茶百科

以下はそのほんの一部をお借りしてまとめたものもの.

 

お茶が飲まれるようになったのは中国とされています.

「神農(しんのう,中国における農業・漢方の祖)」の逸話からは,紀元前2700年頃と考えられるとのことですが,漢時代(紀元前一世紀)の医学書に茶の記載があるとのこと.このころまでには広く知られていました.

日本へは,奈良・平安時代遣唐使・留学生によってもたらされたと考えられています.最初の記述は,平安初期815年の日本後紀とされますが,限られた人のみが口にできた飲み物で,「茶の製法としては,現在のプーアル茶のような餅茶(へいちゃ)だったらしい」とのこと.

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動画付きプーアル餅茶のほぐし方 | お茶の専門店HOJO

 

鎌倉時代には,よく知られているように臨済宗の開祖栄西(えいさい・ようさい1141 - 1215)が喫茶養生記を著し,華厳宗の僧である明恵上人(1173 -1232)は,京都栂尾の高山寺に茶を植え(最古の茶園とされる),茶を奨励しました.

喫茶養生記」にある製茶法から,当時のお茶は,宋代に作られていた蒸し製の散茶で,碾茶(てんちゃ)の原型とも言えます。

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碾茶 碾茶の荒茶製造・宇治茶 碾茶販売 | 京都宇治茶お茶のことなら【古勝製茶場】宇治茶自園

 

これを粉砕し、お湯を注ぎ、茶筅で泡立てて飲んでいたようです。

喫茶は,禅宗寺院に広がると共に,社交の道具として武士階級にも浸透していきました.さらに南北朝時代になると,茶を飲み比べ,産地をあてる「闘茶」が行われました.

さらに,安土桃山時代になると,佗茶(村田珠光),茶の湯千利休ら)が創出され,豪商や武士たちに浸透していきました.

一方,江戸時代には一般庶民にも飲料としてのお茶が浸透していきますが,庶民に飲まれていたお茶は抹茶ではなく,簡単な製法で加工した茶葉を煎じた(煮だした)ものだったようです.

1738年、宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)は,製茶方法を丁寧な方法に改めて,優良な煎茶の製法を編み出し,煎茶の祖とよばれています.これまでにない緑色の水色と甘味、馥郁(ふくいく)とした香りは江戸市民を驚嘆させました.

宗円が生み出した製法は,「宇治製法」と呼ばれ,18世紀後半以降,全国に広がり,日本茶の主流となっていきました.

また,より高級な煎茶を開発しようと、碾茶に用いられていた覆下栽培を煎茶に応用する試みが行われ,1835年,山本嘉兵衛(やまもとかへえ)により玉露の製法が生み出されたといいます.