科学の名の下に・旧優生保護法を問う
/5 中絶胎児を「研究解剖」
毎日新聞2018年6月8日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20180608/ddm/041/040/144000c
岐阜大付属病院で1984年,旧優生保護法に基づき中絶した女性の胎児を研究目的で解剖し,脳の検査をしていたことが同年,日本精神神経学会で告発された.
女性は出産を望み,解剖にも同意していなかったことから「人体実験」と非難された.
30年が過ぎて取材に応じた,岐阜大精神科の助手だった当時の主治医(62)は「今でも悪いことをしたとは思わない」と言い,こう続けた.
「本人は中絶に納得していた.胎児は病理解剖しただけ.私の行為と,いま問題になっている強制不妊手術とは全く違う」
◇
内部告発を受け,学会は調査に乗り出した. 2年後にまとめられた報告書によると,統合失調症と診断された女性(当時34歳)は病状の悪化で岐阜県内の病院に措置入院し,妊娠16週以降であることが判明.岐阜大付属病院に転院させられ,陣痛促進剤を使った中絶手術を受けた.
3日間に及んだ手術の直後,精神科と病理学教室が胎児を解剖し,脳を検査した.
そして,女性が出産を望んでいた記録も見つかった.
「産みたいもん」
「私,うちの人と仲が良いのにどうしておろさないかんの」
「他の人に聞いたけど,精神科の薬をのみながら赤ちゃんを産んだって言ってたよ」.
看護日誌には悲痛な叫びが残されていた.一方で主治医は,女性の親や内縁の夫が中絶を望んでいると説明し,女性から同意書を取ったという.
調査を終えた学会は,転院の経緯などから「強制入院を背景に同意を強要した」と結論づけた.
さらに,胎児の解剖は「妊娠中に向精神薬が投与されている胎児の脳中の薬の濃度は高値を示すという予想の実証」が目的だったと指摘.
事前に動物実験をしておらず,「明らかに研究者の研究のための手段」「人体実験である」と断罪した.
当時,学会理事で調査を担った精神科医の星野征光(ゆきみつ)さん(73)は「医者と患者の権力関係を利用し,中絶に持っていった」と批判する.告発した児童精神科医の高岡健さん(64)も「主治医は研究者でもあり,患者の意向より実験の利益を優先させた」と憤った.
調査結果に対し,主治医や実験を主導した当時の講師(74)は今も「結論ありきの調査で陥れられた」と反論.
教授選を巡る学内対立などが告発の背景にあったと主張した.
「女性はずっとベッドに縛り付けられていた.『産みたい』と言ったのは,苦しさや痛さから逃れるため」と主治医は強調した.
ただ,「今の私なら違うかもしれない.親や夫を説得してでも,産みたい思いをかなえてあげれば良かった」.
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北海道の女性(75)が月内にも,旧法下で中絶と不妊手術を同時に強制されたとして,国に損害賠償請求訴訟を起こす.
旧法下での中絶は52年に委員会審査が不要とされ,医師の認定で「疾患の遺伝」などを理由に数多く実施された.
原則本人の同意が必要とされたが,その実態は分かっていない.=おわり
この連載は千葉紀和,上東麻子が担当しました.
ことば
旧優生保護法下の人工妊娠中絶
14条に基づき,本人や4親等以内に障害がある場合に医師の認定で可能とされた.原則は本人同意が必要だが,精神や知的障害の場合は保護者の同意で認められた.国の統計によると,1955~96年は2948万件で,大半は母体の健康が理由だが,遺伝を理由にした中絶は2万6375件あった.