旧優生保護法に「矛盾を感じていた」が,多忙な日々の中で意識に上ることはなかった./ 「優生思想はナチス・ドイツのものだと思っていた.その頃も(強制手術を)やっていたなんて……」  そして,誰もが関わり合いを避けるように,強制不妊をめぐる問題はその後も見過ごされていく. 科学の名の下に・旧優生保護法を問う /1 毎日新聞2018年6月4日 

科学の名の下に・旧優生保護法を問う

/1 

厚生官僚「優生」放置 「矛盾感じたが」動かず

 

f:id:yachikusakusaki:20180610005303j:plain

毎日新聞2018年6月4日 東京朝刊

https://mainichi.jp/articles/20180604/ddm/041/040/069000c

mainichi.jp

 旧厚生省の公衆衛生局長が1973年,旧優生保護法が強制不妊手術を行う根拠を事実上否定していた.

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/06/10/004835

yachikusakusaki.hatenablog.com

70~80年代に同省精神衛生課にいた複数の医系技官(精神科医)やキャリア官僚たちが当時を振り返った.

 

◇ 

「あの頃からみんな,古い法律だと矛盾を感じていた」 

 70年代に精神衛生課長を務めた精神科医の男性(85)が言った.

当時は臨床経験を積んだ医師が技官として入省していた.男性も精神障害者の社会復帰を支援する先駆的なデイケア開発が認められ,招請された.

 

 精神医療に光が当たっていなかった時代にあって,「差別されている精神障害者を救う」と意欲に燃えていた.

全国にデイケアを普及させようと打ち込んだ.

旧法に「矛盾を感じていた」が,多忙な日々の中で意識に上ることはなかった.

 

 同課は精神衛生法も所管する.

この時代,宮城県精神科病院火災(71年),新宿バス放火(80年),深川通り魔(81年)など凶悪事件が相次ぎ,新聞は「野放しの精神障害者100万人」などと国に対策を求める記事を掲載.医療を優先させたい厚生省と,規制強化に動く法務省との間であつれきも起きた.

 

 だが,その対応に追われていた元技官(68)は

「優生思想はナチス・ドイツのものだと思っていた.その頃も(強制手術を)やっていたなんて……」

と旧法への意識は低かったと言い,今盛んに報じられている手術の人数を知り驚いた.

 

 72年,82年は旧法改正の動きがあったが,中心は中絶をめぐる議論だった.容認・反対派が厚生省に乗り込んできて双方から批判され,障害胎児の人工妊娠中絶を認める「胎児条項」の新設に障害者団体らが猛反発し,紛糾したという.

学生運動のあおりで「障害者団体,女性団体,日本精神神経学会も『政府打倒』を叫び,建設的な中身の議論に結びつかなかった」と別の元技(68)が振り返った.

 

「法律自体が間違っているとは……」

「法律を変えるには他省庁との折衝に莫大(ばくだい)なエネルギーが必要.よほどのことがない限りできない」

「2,3年で担当が変わり,責任ある発言ができない」

「実務は都道府県がやっていた」.

技官たちの証言からは当事者意識の欠如が浮かぶ.

 

 そして,誰もが関わり合いを避けるように,強制不妊をめぐる問題はその後も見過ごされていく.

 

 84年,病院の看護者が患者を暴行死させた宇都宮病院事件は世界に報じられ,政府は精神障害者を隔離する政策から地域社会に受け入れる「ノーマライゼーション」へとかじを切る法改正を行った.

しかし,性と生殖の問題はここでも取り残された.

 

 96年6月に旧法が母体保護法に改定されたころ,患者の強制隔離を進めたらい予防法が廃止された.

同法は数年かけて厚生省の内外で検討され,撤廃に結びついた.

しかし,旧法は,被害実態も責任の所在も闇に葬られたまま,条文の6割を占める「優生」の文言がこつ然と消えた.

 

 非科学性が認識されてもなぜ旧法は放置されたのか.科学者たちの関わりを検証する.=つづく(千葉紀和,上東麻子が担当します)