アナザストーリー 運命の分岐点
「オードリーとローマの休日~秘めた野心 貫いた思い~」(3)
ローマの休日(2) ローマの休日は単なる甘いラブストーリーではなかったのです. - yachikusakusaki's blog
オードリーを通じ,この映画に平和へのメッセージを込めたワイラー.
http://roseviola.exblog.jp/iv/detail/?s=14154638&i=201010/05/29/b0186129_23495197.jpg
オードリーにはその後も名監督から出演依頼が殺到.彼女は瞬く間に世界一のスターとなる.
https://www.amazon.co.jp/s/ref オードリーヘップバーン+dvd
だが1968年,まさにキャリア絶頂の時,彼女は突如映画界から身を退いた.
果たしてそこにはどんな決意があったのか?
全てを知るのが,キッチンに立つこの男だ.
オードリーの世界的な人気を決定づけた映画「ローマの休日」.自分をスターに押し上げてくれた街ローマと彼女はこのあと不思議な縁で結ばれていきます.
その結びつきを誰よりも知るの第3の視点.ルカ・ドッティ.何を隠そう,オードリーの実の息子です.
彼を生んだとき,映画の出演を一切やめていたオードリー.彼女は息子をローマで育てました.
スターの地位を離れ,あの王女のようにローマの街を自由に歩く.その姿は映画と少しも変わらず,エレガントなもの.
彼女は一体どんな思いで,ローマの街を歩いていたのか.共に歩んだ息子だけが知る,アナザストリー.
(足下に犬)
「その子は撮っていいよ!」
キッチンでパスタを調理中のこの男性.
「こうやって,良く母と一緒に料理してたんですよ,ってテレビ的には言いたい所なんですが,すみません.ぼくはもっぱら,食べる担当でした」
オードリーヘップバーンの息子,ルカ・ドッティ.うーん目元がそっくり.現在は,母が始めた慈善団体のリーダーを務めている.
「いろんな場所で,母のことを話すんですけど,皆さん一番驚くのは,母が料理をしていたって所なんですよね.『やせてるから,食べないと思ってました』なんて.そんなわけないでしょ?実際は母は,よく食べる人だったんですよ.パスタなんて,3皿くらい食べていたんですから」
ローマの休日から17年後,ローマで結婚したオードリー.
http://weddingphotograhperdallas.blogspot.jp/2015/02/audrey-hepburn-wedding-dress.html
彼女は,実に8年もの間,映画出演を断った.だがそれを「引退」と書いたマスコミに,厳しくこう返した.「私は引退などしない.私には引退もカムバックもない」
それは一体どんな意味なのか?
答はローマでの日々にある.
謎に包まれていた彼女の私生活.それを物語るものを,今回,息子のルカが特別に見せてくれた.
「日本ではどれも公開していないものですよ」
日本初公開のプライベートフィルム.そこには,生涯現役を目指した,彼女の生き方が,刻まれていた.
視点3 息子 “引退”のない生き方
1954年,オードリーは,俳優メル・ファーラーと結婚.長男を授かった.
http://weddingphotograhperdallas.blogspot.jp/2015/02/audrey-hepburn-wedding-dress.html
しかし,主演作が続き,多忙を極めた彼女.夫とのすれ違いの末,結婚生活は14年で破局を迎えた.
心に痛手を負ったオードリーは,友人に誘われ,ギリシャ/エーゲ海のクルーズへ.そこに参加していたのが,後に夫となるアンドレア・ドッティ.ローマ出身の医師で,オードリーよりも9歳年下だった.
「父は新しもの好きだったので,クルーズにカメラを持ち込んでたんですよ.結構,うまく撮れてますよ」
本邦初公開.アンドレア・ドッティ撮影のクルーズの様子.めったに見せたことのない水着姿.2人の親密さがうかがえる.
「これが,僕の両親の結婚式を撮した唯一の映像です」
39歳での再婚.前の夫との間の子供も引き取った.
彼女は結婚後の抱負を問われてシンプルにこう答えた.
「私はローマの主婦になる」
かつて自分をスターにしたローマの街に家を構え,映画出演を全て断り続けたオードリー.
結婚の翌年にルカが誕生.
ますます映画界からは遠ざかった.
「『真実の口』の前を通りかかって,『昔ここで監督にサプライズのシーンを撮られたのよ』なんて話してくれたこともあったけど,他にはほとんど映画の話はしませんでした」
映画にこそ出なかったオードリーだが,身を隠したわけではない.
今回ルカが見せてくれたホームビデオには,ルカを連れて堂々とローマの街を歩く姿が映っている.
パパラッチ達の格好の被写体になったが,逃げも隠れもしなかった.
「小さい頃は,僕はパパラッチとケンカばかりしていました.でも,母は『逃げるより,撮らせちゃった方が早く済むわよ』なんて,実に慣れたものでした.今となってはパパラッチのおかげで母との写真がたくさんあって,有り難いと思ってますよ」
Rare Audrey Hepburn — Audrey Hepburn with her son Luca Dotti in Rome,...
さながら,あの映画の王女のように,誰はばかる事なく街を自由に歩いたオードリー.
ここは行きつけだった花屋.
ルチアーノ・ヨービレ「自宅の花を欠かさない人だったので,週一回は必ず来てくれていました.好きだったのは,白い花です.特にマーガレットですね.
私の娘が生まれたときには,ベビー服を贈ってくれたり,本当に親しくつき合わせてもらいましたよ」
かつて,映画のためにウエディングドレスをキャンセルしたあのブティックにも,しばしばやって来た.
「時々ふらっとお店に入ってきて,アクセサリーを幾つか買って行かれました.スカーフとか手袋とか.もちろん,自分のお財布で.普通のお客さんと同じですよ.有名人だとか昔なじみだとか,そういう特別扱いは望んでいませんでした」
このまま,ずっと主婦を続けるのか?
そう世間が感じ始めた1976年.突如彼女は映画界に復帰する.
映画「ロビンとマリアン」
Robin and Marian | My journey with Audrey Hepburn
オードリーが演じたのは,美貌の衰えを憂う中年の女性.マリアン「私は年をとっていて醜い?あなたが望む私でいるかしら?」
Audrey Robin and Marian - Google 検索
かつて演じ続けてきた「若く美しきヒロイン」とは,全く異なる役柄だった.
メイクのデ・ロッシ家からは,ジャンネットの母が参加.父は既に他界していた.
ジャンネット・ロッシ「『何で今になって復帰するんだ』って言う人もいたけど,実はベストのタイミングを計っていたんだと思うよ」
「女優ていうのは勘違いしがちでね.『自分だけは老けない』そう思い込んで,ひどいざまを見せる人が多い.でもオードリーは違う.うまくブランクをあけたんだ.オードリーは自分がいつまでも若くてキュートなお嬢さんってわけにはいかないことをよく分かっていた.素晴らしいカムバックだったよ」
(映像;ローマの休日) オードリー演じるアン王女「私が何をすべきか自覚していなければ戻ることはなかったでしょう」
自分にしか出来ない使命のために,王宮に戻ったアン王女のように,今の自分にしか出来ない役柄を演じるべく,再び映画に出演した彼女.復帰後立て続けに4本の映画に出演する.
だがそこで立ち止まる彼女ではなかった.