アナザストーリー 運命の分岐点
「オードリーとローマの休日~秘めた野心 貫いた思い~」(2)
今では不朽の名作と名高い「ローマの休日」.しかし,当時としては異例中の異例の作品でした.
ハリウッド映画はハリウッドのスタジオで撮るのが当たり前の中,全編海外でのロケ.そんな大作のヒロインほぼ新人の女優を迎えたのも,また,超異例の事でした.
全てを押し切ったのは,あの「90テイクマン」,監督のワイラー.
第二に視点は,彼の娘,ジュディ・ワイラーです.当時十歳,子役として撮影に参加していました.彼女は父の背中を見つめる中で,この作品に父が込めた強いメッセージを感じ取っていました.
ローマの休日は単なる甘いラブストーリーではなかったのです.
監督が伝えたかったメッセージとは何か?そこにオードリーはどう関わっていたのか?全てを見ていた少女が語るアナザストーリー.
映画の中盤,アン王女が髪を切った.
Audrey Hepburn images Roman Holiday wallpaper and background photos (824657)
記者にとってはまさにシャッターチャンス.だがあいにくカメラがない.そこで----
「いいカメラだね.----ちょっと貸してくれない?」
Hell On Frisco Bay: An Interview With Judy Wyler Sheldon
困り顔のこの少女こそ,ジュディ・ワイラー.当時は女優を夢見ていた.
「これが私よ.もう終わり?短い」
「これだけで丸1日かかったのよ.『女優になんかなるもんか』って思ったわ」
「90テイクマン」は実の娘にも容赦なかった.
今では映画祭のプロデューサーとして,忙しく働くジュディ.数多くのスターと会ってきたが,10歳で出会ったオードリーは別格の存在だ.
「だって,彼女,こんな子どもの私も気遣ってくれたのよ.みんな仕事の事ばっかりに夢中なのに.彼女だけは私の目を見てキチンとお話ししてくれたの」
オードリーに会いたさに現場に通ったジュディ.やがて,この映画にかける父の深い思いを知る事になる.
「単なるハッピーエンドで2人がくっついて終わる映画じゃないでしょう?父には,この作品でどうしても伝えたい願いがあったのよ.
視点2 監督の娘 90テイクマンの“願い”
映画監督ウィリアム・ワイラー.
「ベン・ハー」をはじめ,アカデミー賞監督賞3回.ノミネート8回(9回?授賞を含めて12回?)の記録は,未だ破られていない(授賞はジョン・フォード4回が最多)(作品賞3回,作品賞ノミネート13回はワイラーが最多)William Wyler - Wikipedia.まさにハリウッドの巨匠中の巨匠だ.
そんなワイラーが「ローマの休日」の監督に決まったのは,1948年.この頃,ハリウッドは,未曾有の混乱状態にあった.
(ラジオ放送)「ウィリアム・ワイラーです.映画監督をしています.いま,ハリウッドに恐怖が巻き起こっています.このままでは,お決まりの映画ばかりがエサのように与えられ,やがて,アメリカ全体,アメリカ自体も堕落していくことを危惧しています」
強い口調で語ったワイラー.
ハリウッドに巻き起こった恐怖とは,赤狩り(McCarthyism).第2次大戦後,アメリカに吹き荒れた共産主義者排斥運動だ.
映画界にもその矛先が向けられた.名だたる監督や俳優が証言台に立たされ,共産主義者かどうか問い詰められた.
ウォルト・ディズニー「自由の国アメリカから,共産主義をあぶり出すべきだ」
Walt Disney Studios owner Walt Disney testifies against communism at hearings of ...HD Stock Footage - YouTube The Hollywood Blacklist: 1947-1960 - YouTube
「父はあのころハリウッドにかなり嫌気がさしていました.『赤狩り』のせいでお上の認める映画ばかりになっていましたから.連中の目が届かない外国に出たい!っていつも言ってましたよ」
そんなねらいにうってつけだったのが,全編ローマが舞台の「ローマの休日」.
実は「赤狩り」とも深い関わりがあった,
書いたのはダルトン・トランボ.赤狩りへの証言を拒み続けて投獄された男だ.「ローマの休日」は,トランボが出所後,「ハンター」という偽名で執筆した作品だった.
「父はハンターの正体がトランボであることを知っていました.ただ,映画会社には内緒にしていました.だって,もし伝えたら連中は一銭たりとも出しはしないから.でも,映画会社の出資が決まるとすぐに父は『赤狩り』で疑いをかけられた人を何人も雇ってローマに連れて行ったのよ」
例えば,アカデミー賞助演男優賞にもノミネートされたカメラマン役のエディ・アルバートは,妻の共産主義者疑惑で騒がれた人物.
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主演のグレゴリー・ペックもワイラーの「反赤狩り」運動にいち早く賛同した数少ないスターだった.さらにスタッフにも「赤狩り」で追放されたものをかまわず雇い上げたワイラー.
「みんなに,こう言ってたわ.『ローマなら赤狩りの目も避けられる.しょぼくれるな.みんな行くぞ!』って」
ハリウッドから,逃げるようにローマに渡った撮影チーム.その不安を一気にはらしたのがオーディションで決まった主演女優だった.
「最初,父は『新人』って事にこだわっていただけなの.誰も見たことのない人.とにかく映画会社の連中が口出ししてこない,新人がいいって.でもそこに,あのオードリー・ヘップバーンが来たのよ.私だけじゃなく,みんなが見とれちゃった.現場に新鮮な風が吹いて,太陽みたいにみんなを照らしたの.まさにパーフェクトなマッチングだったわ」
オードリーを得て,がぜん意欲を燃やしたワイラー.撮影直前,彼が頻繁に足を運んだ場所がある.今は一見,何の変哲もない通りだが,撮影当時は様子が違った.
「これは何?」
「願いの壁さ.戦争中,ここで子どもを連れた男が空襲にあった.この壁の後ろに非難して祈ったら,爆弾はすぐ近くに落ちたが怪我はしなかった.だから,後でここにお礼の札をかけたんだ」
Roman Holiday - Joyless Creatures
「この壁を父とよく見たのを覚えているわ」
「ここは父の中にかなり強く印象に残った様子でした.戦争を伝える場所としてね.
第二次世界大戦が終わったのは「ローマの休日」撮影のわずか7年前.戦時中ワイラーはイギリス空軍に参加.空襲の様子などを撮影していた.
一方,オードリーはナチス占領下のオランダに暮らし,まさにワイラーが所属するイギリス空軍による爆撃を経験していた.
戦争中は敵国.2人に限らずこの映画に関わる皆が,そんな因縁を抱えていた.
「空襲から逃れた人々が祈りをささげた壁.これを見て父の心は動きました.『赤狩り』から逃げることよりもっと大切なことがあるって気づいたの.だから,このシーンを入れた.伝えたかったのは,それぞれの立場で戦争の記憶を持つ私たちだけど,手を携えて未来へ進もうという事.『せっかく戦争が終わったのだから』ってね」
ワイラーの願いが最も色濃く表れているのは,終盤のこの場面だという.
「国と国との友好の見通しについてどうお考えでしょうか?」
「必ずなし得ると信じます.人と人との友情を信じるように」
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「おそれながら,自社を代表して申し上げます.妃殿下のご期待は決して裏切られることはないと」
Oscar Vault Monday – Roman Holiday, 1953 (dir. William Wyler) | the diary of a film history fanatic
「このシーンは,父の一番大事な願いを伝えています.国のレベルの結びつきだって,結局は全て人と人との友情によるものだと.どんな状況でも友情だけは失ってはいけないと」
「でも,なかなかいないわよ.その願いをこんなふうに表現できる女優は.本当に美しくて完璧な瞬間だと思います」
「まあ,監督も結構頑張ったけどね.ははは」
オードリーを通じ,この映画に平和へのメッセージを込めたワイラー.
オードリーにはその後も名監督からの出演依頼が殺到.
だが,1968年,まさにキャリア絶頂の時,彼女は突如,映画界から身を退いた.果たしてそこにはどんな決意があったのか.