あきらかに差別的な発言をまき散らすデモ隊を,青い制服の警察官が守って歩いているような図を見せられて,「差別はいけない」と子どもたちが学ぶことができるのかどうか,わたしには疑問だ. 人権尊重や民主主義を標榜(ひょうぼう)する国の道徳規範を考えたとき,やはり「差別はいけないのだ」ということは,子どもたちにいちばんに教えてほしいものだ. 中島京子

道徳の教科化に思う  中島京子・作家

時代の風  毎日新聞2017年8月6日 東京朝刊

 https://mainichi.jp/articles/20170806/ddm/002/070/073000c

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嘘とごまかしの「不道徳」

 

 少し前から,「道徳」の教科化が話題になっている.2018年度から小学校で,19年度から中学校で実施されるそうだ.何をどう教えるのか,いまひとつ不明確で,賛否両論あるようだけれども,いま,自分たちを取り巻く社会の様相を見ていると,「不道徳」という言葉が浮かんでこないでもない.小学校や中学校で「道徳」を教えると,こうした「不道徳」は正されるのだろうか.

 

 義務教育で「道徳」を教科化することになった背景には,「いじめ対策」があるのだという記事をいくつか読んだ.子どもたちの間の「いじめ」は深刻だ.自殺者も出ている.ぜひとも「いじめはいけない」と,子どもたちに教えてほしいと,わたしも考える.

 

 そのためには,「いじめ」の実態をしっかり把握し,対処することが必要だ.けれども,問題があるとだいたい教育委員会や校長先生のような偉い人が出てきて,「調査したがいじめはなかった」「いじめとは言えない」とか言い出す.横浜市で福島から避難してきた子どもが「賠償金をもらってるだろう」と因縁をつけられて150万円ゆすりとられたという話があったが,教育長が「おごりおごられる関係でいじめとは認定できない」と,意味不明な発言をして話題になった.こういうごまかしは,それ自体が「不道徳」だ.

 

 そして「いじめ」の背景には「差別」があることを,きちんと子どもに教えたい.「自分たち」と「そうでない人たち」を区別して,「そうでない人たち」を攻撃する「差別」が,「いじめ」を作る.

 

 先月半ばに川崎市でまたヘイトデモがあり,市民が大勢プラカードを持って反対の意思表示をしたが,映像を見ると,まるで警察がヘイトデモ主催者を護衛しているかのようだった.善意に解釈すれば,誰を護衛するということもなく混乱に対処するために出動していたのかもしれないけれども,あきらかに差別的な発言をまき散らすデモ隊を,青い制服の警察官が守って歩いているような図を見せられて,「差別はいけない」と子どもたちが学ぶことができるのかどうか,わたしには疑問だ.

 

 人権尊重や民主主義を標榜(ひょうぼう)する国の道徳規範を考えたとき,やはり「差別はいけないのだ」ということは,子どもたちにいちばんに教えてほしいものだ.

 

 そして,毎日,新聞やテレビやネットニュースを通じてまき散らされている「不道徳」の極みは,政治家や官僚など,立派であるべき人たちの「嘘(うそ)」と「ごまかし」だ.これはもう,毎日ひどくなってきている気がする.

 

 わたしが子どもの頃も,ロッキード事件という大疑獄事件があって,おじさんたちが口にする「記憶にございません」は流行語になった.いま現在も,きっと子どもたちは「記憶にない」とか,「記録はないが,記憶にしっかりとある」とか「記録は破棄した」とかいった,ごまかし答弁を,真似(まね)して笑っていることだろう.

 

 笑っているだけならいいけれども,こんなことばかりが続けば,「道徳」の1ページ目に書かれそうな「嘘をついてはいけない」が,説得力をなくしてしまうだろう.

 

 「道徳」を定義するのは,じつは案外難しい.厳しい身分制度のあった江戸時代や,家父長制のもと家族間にもヒエラルキーを強いた戦前にも「道徳」は存在したが,その「道徳」は「差別」を許していた.むしろ,「差別」することが「道徳」とされる面もあった.

 

 ひょっとして,これから子どもたちが学ぶはずの「道徳」は,むしろ封建時代に近く,主君のためなら嘘もつけば腹も切って見せる,というようなものなのだろうか.主権者である国民の前にあきらかにしなければならないことを押し隠して,権力者にこびへつらい,平気で嘘をついて出世していく人たちを見せつけられると,平成の道徳規範はむしろ江戸時代に近いのかと,錯覚しそうになる.

 

 3日に内閣改造が発表された.なけなしの支持率浮上策ということなのだろうが,いままで国会で審議されていた疑惑が晴れたわけでもなんでもないので,有権者がこれでごまかされないことを希望する.若い世代の倫理教育のためにも,嘘やごまかしはやめて,国民の前にすべてをあきらかにしていただきたい.