「水は栄養素?」「水を栄養素と言って間違いではありません.しかし,現在,水を栄養素に含めないような曖昧な書き方・言い方,そして教育をしていくのが,むしろ一般的なんです」

「水は栄養素?」

かなり以前に,こう聞かれたことがありました.一応専門の立場にあったときのこと.

でも,これって,結構難しい質問なんです.

 答は様々考えられますが---

 

「水を栄養素と言って間違いではありません.しかし,現在,水を栄養素に含めないような曖昧な書き方・言い方をするのが,むしろ一般的です」

 が最も無難な答でしょうか.

 

できるだけ簡単に,でもどうしてもややこしくなりますが,説明します.

ややこしい話が嫌いな方はここで読むのを中止して下さいね.

 

▽「水を栄養素と言って間違いではありません」

栄養素の定義が必要ですね.

様々あるでしょうが,簡単で広く受け入れられる例としては

「生命の維持や成長に必須な栄養状態をもたらす物質」

(「A substance that provides nourishment essential for the maintenance of life and for growth」https://en.oxforddictionaries.com/definition/nutrientの拙訳)

 

そして,水が「生命の維持や成長に必須な栄養状態をもたらす物質」であることは,専門家でなくても誰もが知っていること.

 

水を栄養素と言って間違いではありません!

実際,以前よく見ていた生理学の専門書は水を栄養素として記載していました.ただし,そのように書いていない専門書も多々あります.そして,日本語の栄養学の書物で「水は栄養素」の記述は見たことがありません.

 

▽「しかし,現在,水を栄養素に含めないような曖昧な書き方をするのが,むしろ一般的です」

例1:日本の小中学校では,「水は栄養素ではない」と受け取られる教育を進めています.ただし,「水は栄養素ではない」と明示はしていません.栄養素を定義しないのです.

中学校学習指導要領解説技術・家庭編「水は,五大栄養素には含まれないが,人の体の約60%は水分で構成されており,生命維持のために必要な成分であることにも触れるようにする」http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2011/01/05/1234912_011_1.pdf

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中学校学習指導要領解説 技術・家庭編honto本の通販ストア

栄養素の定義はありませんが,五大栄養素を栄養素と考えると,水は含まれないことになります.小中学生はそのように考えてしまうでしょう.

しかし,「水は栄養素ではない」とは書いていない!

実は,専門書でも同じなんですね(例2&3).

 

例2:「日本人の食事摂取基準」(平成26年3月 厚生労働省) http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000041824.html

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Amazon | 日本人の食事摂取基準〈2015年版〉

「国民がその健康の保持増進を図る上で摂取することが望ましい次に掲げる栄養素」の表がありますが,そこに水の記載はありません.

ただし,別立てで水の必要性を記載してあります.例1と基本的な考え方では一致していますね.「水は栄養素ではない」とは記載しない.でも,栄養素の一覧表には入れていない!

 

例3:「日本人の食事摂取基準」のアメリカ版とともいえる「Nutrient Recommendations: Dietary Reference Intakes (DRI)」

https://ods.od.nih.gov/Health_Information/Dietary_Reference_Intakes.aspx

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Dietary Reference Intakes for Energy, Carbohydrate, Fiber, Fat, Fatty Acids, Cholesterol, Protein, and Amino Acids | The National Academies Press

 

ここでは,水の摂取量を数値として掲げています.しかし,「マクロ栄養素(炭水化物・脂質・タンパク質)」「ビタミン」「エレメント(元素,日本のミネラルに相当)」とは区別して記述されています.「マクロ栄養素」「ビタミン」「エレメント」を栄養素と考えれば,水は栄養素には入らないような書き方といえるでしょう.

ただ,見方によっては,「水も栄養素の一つ」と考えられる書き方です.日本版よりは,ずっとその傾向が強い.「マクロ栄養素」「ビタミン」「エレメント」と「水」が併記してあるのですから.

 

 

なぜ,こんな話題を今日取りあげたのか?

たまたま,こんなデータを目にして,昔聞かれたことを思い出したためです.

 

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「この様な単純な正答率の比較で,教育の成果を比べないで欲しい」という意見を補うために,このデータが引用されていました.

至極もっともな意見ですね.

単に「ある言葉の意味を知っているかいないか?」では,教育の成果や学力を調べることはできません.

 

とはいえ---

「水は重要な栄養素である(正解は○)」?

という設問自体に突っ込みを入れたくなりませんか?

記事をまとめた方(意見を述べた方とはおそらく別の方)もそのように思ったのでしょうか---.記事の見出しは「水は栄養素?」.

 

栄養素という言葉に一般性を持った厳密な定義があり,その理解が重要な意味を持つのならば,この様な設問は意味があるでしょう. 例え言葉の意味だけを尋ねているとしても.

例えば物理学の諸概念.専門外でよくわかりませんが,「重力」という概念は厳密に定義され,この言葉をキチンと説明できるかどうかは物理学を学ぶ上で必須なのでは?

 

でも「栄養素」は,栄養を考えたり,日常的により良い良く食生活を実践するために大切な概念ですが,厳密に定義して用いなくても致命的な欠陥にはなりません.

それどころか,時には他の栄養素の理解を妨げるかもしれません.「水は飲む,でも食物は食べる」に始まって,別々に考えた方が分かりやすい.日本の学校教育はそのような立場に立っている?

ただ,栄養学だけではなく,生理学・生化学の専門書でも,栄養素を定義せずに論を進めている書物は多々あります.

例えば「ガイトン生理学 原著第11版」

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しかし,当然のことながら「どのような物質が必須か」はキチンと記載され,なぜ必要か,そしていわゆる「ホメオスタシス」の詳細な解説が続きます.大まかな記載の枠組みは,多くの場合,水・マクロ栄養素・ビタミン・ミネラルになります.

教育の場でも「『生命の維持や成長に必須な栄養状態をもたらす物質』がある」ということをキチンと理解することが重要で,栄養素を厳密に定義しなくても大きな問題はないと言えるでしょう.

 

わかりづらいことをだらだら書いてしまいました.

最後にわかりやすい例を:

 

上記「日本とドイツの比較」の設問が

「水は生命の維持や成長に必須である」○か×か?

なら,日本の子どもたちもドイツの子どもたちもほぼ100%正解だったでしょう.

 

推測を付け加えれば,

上記のように日本では,「水は栄養素ではない」と受け取られる教育がなされています.まじめに勉強した児童・生徒ほど,正解できなくても不思議ではありません.

一方のドイツ.実情は知りませんから軽々しいことは言えません.しかし医学分野生理学の教科書では水を栄養素として記載してあるものがありますから,ドイツでは「水」が他の栄養素と併記された形で学習が進められている可能性が大いに考えられます.