ドイツで,今(1993〜94年),問題となっていることの一つは,病院や施設の職員が末期や高齢の入所者・患者を大量に殺してしまうことだ,と聞かされた.日本でまずないだろうと思っていた.私のそういう認識は,今回の相模原市の事件で完全に崩れた./ 新しい状況・段階であっても,しかし,そこでなされるべきこと,求められるべきことは,依然として,「母よ!殺すな」という言葉とともに日本の障害者運動が目指し,実現してきたことの延長線上にある.すなわち,それは脱施設化に他ならない.市野川容孝

社会的殺人(2)

市野川容孝(いちのかわ・やすたか)

福祉労働 153

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「社会が賛同してくれるはずだった」

 バイオエシックスパーソン論

私が震撼するのは,第一に,彼(相模原障害者施設殺傷事件の容疑者)が自分が行う人間の選別や大量殺人に「社会が賛同してくれる」と確信できたという事実なのである.彼の頭の中では,今回の事件の本当の主体は彼自身ではなく,彼に賛同してくれるはずの社会なのである./私が震撼するのは,第二に,彼の確信のありえなさではない.彼がそう思っても仕方ないと思える現実が,今の日本社会にあるから,震撼しているのである. 市野川容孝 (1)- yachikusakusaki's blog

「母よ!殺すな」の先にあるもの

オーストラリア出身で,現在,アメリカのプリンストン大学で教授をつとめているピーター・シンガーが,一九八九年にドイツで,先のエンゲルハート(“バイオエシックスパーソン論” でエンゲルハートの思想が紹介されている*)同様,思い障害のある新生児に対する積極的安楽死は,その親の同意があれば認められるという主旨の講演を行おうとしたところ,ドイツで猛烈な反対運動が起こり,彼の講演が中止されるという騒動があった.

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中略

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一九九三年から九四年にかけて,私はシンガーを批判したドイツの障害者や医師に直接会って,話を聞いた.

彼らのシンガー批判の背景には,ナチの安楽死計画が大きな問題としてあり,それを支える論理がシンガーの説くバイオエシックス生命倫理)と基本的に変わるところがなく,シンガーの主張を認めるというとは,彼らにとってナチの安楽死計画(**)を認めることを意味した.だから批判し,反対したのである.

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中略

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彼らと話をしているうちに,日本はどうなんだ,という話に当然なった.私は,横塚晃一の『母よ!殺すな』をもとに,日本では,障害者がその家族(の憐れみ)によって死に至らしめられると言うことが繰り返され,日本の障害者運動はそういう事態を批判するところから出発したと説明したのだが,ドイツ人の彼らには全くピンとこなかった.そういうことは,ドイツではほとんど聞いたことがない,というのである.ナチの安楽死計画にしても,精神病院にいた患者,施設にいた障害者が殺されたのであり,安楽死計画の噂を耳にして心配した家族が自分の身内を精神病院や施設から(強引に)家に連れ帰って,何を逃れることができたというケースは確かに多い.

 

ドイツの場合,障害者が殺される場所として問題になっていたのは,ずっと以前から,病院や施設であって,家族という空間ではない.そして,ドイツで,今,問題となっていることの一つは,病院や施設の職員が末期や高齢の入所者・患者を大量に殺してしまうことだ,と聞かされた.

 

一九九四年にドイツで会ったカール・H・バイネという精神科医師は,九〇年に自分の勤めていた州立病院でまさにそういう事件が起きたことをきっかけに,医療ケア従事者による患者・入所者の殺害の実態解明に取り組んでいる最中だった(表 参照).この表は彼がその結果をまとめた本から一部の事件を抜粋したもので,「6」が彼の勤めていた病院での事件である.

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バイネ氏からも,日本はどうなんだと聞かれたが,彼が関心をもち,自分の本に事例として収録したのは,宇都宮病院事件(一九八三年)と東海大学付属病院事件(一九九一年)のみだった.横塚晃一らが告発した,家族による障害者の殺害という問題は,射程の外に置かれた.「母よ!殺すな」という言葉とともに横塚らが格闘した日本の状況や問題に対するドイツ人の無理解を,私は当時,少し苛立たしく思ったが,他方で私自身も,バイネ氏が実態解明に取り組んでいた問題について,一人の看護師や職員によって十人も二十人も殺されるというようなことは,日本で聞いたことがないし,まずないだろう,と思っていたのである.私のそういう認識は,今回の相模原市の事件で完全に崩れた.

 

今回の事件は,さまざまな意味で「母よ!殺すな」の先にあると思う.

 

その意味の一つは,今までとは違う状況・段階に入ったということである.今回の事件で,一九名の障害者は母や家族に殺されたのではない.一人の元職員の青年によって殺されたのだが,すでに述べたとおり,彼は「社会が賛同してくれるはずだった」という確信とともに犯行に及んでいる.

家族ではなく,社会が,彼の共犯者である.

 

もう一つの意味は,新しい状況・段階であっても,しかし,そこでなされるべきこと,求められるべきことは,依然として,「母よ!殺すな」という言葉とともに日本の障害者運動がこれまで目指し,実現してきたことの延長線上にあるということである.すなわち,それは脱施設化に他ならない.「母よ!殺すな」という言葉によって,家族という(愛の)空間を否定しつつ,日本の障害者運動は同時に,施設を否定しながら(府中療育センター闘争等),自立生活という第三の道を切り開いてきた.ドイツの経験は,ナチズム期のそれを含めて,施設が障害者にとって,最も危険な場所となりうることを示している.

 

脱施設化は,今も,今後も,私たちがそこへ向かうべき目標であり続ける.

 

 

*エンゲルハート『バイオエシックスの基礎づけ』より 「人格(パーソン)の特徴は,自己を意識することができ,理性的で,賞罰の価値に関心をもちうるという点にある.-----すべてのヒトが人格であるわけではない」

「厳密な意味での人格である人々に,不当な経済的,心理的負担をかけないようにすることは,道徳的根拠がある」

**誰も止めることなくエスカレートした虐殺・家族によっても黙殺された殺害:「山の上で何かしているけれども自分達とは関係ないと距離を置くようになっていったのです」「でも私にとって本当に悲しいのは,叔母の死ではなく,家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです」 相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映より[5] - yachikusakusaki's blog

ナチ政権下での障害者殺害:動機は医師や学者からの要請 /「ヒトラーのおかげで30年間私たちが夢見てきた優生思想が実現された」 相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映より[4]

パーキンソン病の父を殺されたバーデルさんのケース 「相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映」より[3]

フォン・ガーレン司教の説教 相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映より[ 2 ]

相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月--- NHK ETV 特集では,去年(初回2015年秋),ナチスドイツによる障害者虐殺を振り返り,現代に何を問いかけているのか考えました.改めて放送します.アンコール放送より[ 1 ]