「障害者は厄介な存在かもしれません。でも、厄介じゃない人っていますか?」(DAIGOさん)/「嵩大からたくさんのことを教わって、私の人生は大きく変わりました」(荻野ます美さん)/「被疑者に『障害者はいなくなればいい』と言わしめてしまった社会のあり方について考えさせられました」(小林亜津子さん) 

約半年近く前の東京新聞の記事です.

今までブログに上げなかったのは,お三方,それぞれ発言の中に,どこかしっくりこない部分や違和感を感じていたからです.それが何故なのか? しっかり見極めてから,と思ったのですが----.

未だ解決がついていませんが,記事をそのまま掲載させて頂きます.東京新聞の「考える広場」ということで.

 

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2016年10月1日

www.tokyo-np.co.jp (このサイトの写真も使わせて頂きました)

 相模原事件から二カ月余。犯行の残忍さと容疑者の差別的な言動が不安を広げた。障害者が躍動するパラリンピックの画面を見ながら「共生とは」を考えた人も多かろう。三人に聞いた。

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2.14(日) 脳性マヒブラザーズ トークショー | 高田世界館【公式サイト】 http://www.h6.dion.ne.jp/~npo-you/ogino.jpg https://www.kitasato-u.ac.jp/clas/clasnews/image/20160215_3.jpg

(中略)

誰もが「厄介な人間」 

お笑いコンビ「脳性マヒブラザーズ」 DAIGOさん

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 相模原の事件は衝撃でした。四歳まで相模原市に住んでいたんですよ。事件が起きた津久井やまゆり園ではありませんが、市立の療育センターに通っていました。今も住んでいたら、やまゆり園に行っていたかもしれない。

 容疑者は「障害者がいなくなればいい」とか言っているそうですけど、そういうことを考える人間がいることについて、今更怒りはないです。私が街中を歩いていると、ひどいことを言ってくるやつは普通にいる。

 物事っていろんな方向から見ていくしかないんですよ。いい方向から、悪い方向から。自分の子どもが障害者で、育て方が分からなくて子どもを捨てる人がいます。出生前診断で障害があることが分かって中絶をする人もいます。障害者からすれば「ふざけんな」ですが、育てる側にとって、両親の状況や周りの環境を考えると、捨てるのも選択肢の一つとしてある。そういうのもありなんかなと思ってしまう。分かってしまうのは私が弱いからかもしれません。本心はせつないですよ。

 今回の事件に関しても含め、障害者として社会に言いたいことはないですね。昔は「もうちょっと理解してほしい」とか、いろいろ言ったけど、そんなこと言ったって変わらないですから。今回の容疑者のように障害者を殺そうとするやつがいれば、一方で、障害者の人生を感動的なストーリーにして持ち上げようとする人もいる。こちらは「障害者=いい人、頑張っている」というイメージが勝手に出来上がっている。障害者だって悪人もいれば、気持ち悪い人もいるのに。ありのままを受け入れてほしい。

 今は、こっちが(健常者を)理解すべきじゃないのかなと思います。前にJRを利用した時に、優先席に座っている人に「すみません」と声を掛けたけど替わってくれなかったことがありました。嫌がらせも半分感じましたけど、私みたいなしゃべるのが苦手な障害者とどうコミュニケーションしていいか、分からなかったというのもある気がします。

 障害者は厄介な存在かもしれません。でも、厄介じゃない人っていますか? 前にこんな詩を書きました。「この世は全員障がい者だ/この世は全員障がい者だ/パーフェクトな人間なんていない」 

 (聞き手・大森雅弥)

 <だいご> 1973年、新潟県生まれ。相方は周佐則雄(しゅうさ・のりお)さん。2010年、NHKEテレの障害者情報バラエティー番組「バリバラ」の企画「SHOW-1グランプリ」の初代王者に。

 

行動力、息子がくれた 

NPO法人ゆう副理事長・荻野ます美さん

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 相模原の事件の後、容疑者が書いた予告状の「障害者はいなくていい」といった文面が、マスメディアで繰り返し流されました。どうして報道するのかと嘆いたら、尊敬する先輩が「みんな気になって仕方ないんだよね。自分たちの中にもそういう気持ちがあるから」と言ったんです。

確かに、障害者を「社会の役に立たない」「税金泥棒」とマイナスのイメージで見ている人も多いと思います。私自身、そんな気持ちはゼロではありません。長男の嵩大(こうだい)が三歳の時に重度の知的障害を伴う自閉症であると診断され、地獄に突き落とされた気分になりました。

 それから十七年後。今の自分はどうなっているか。子育ては本当に大変でした。関わり方を少し間違うと、混乱して奇声を上げたり、物を壊したり、服を脱ぎ捨てて裸になったり…。息子の障害を理解するために勉強を重ねました。行政とのやりとりの中でも、嫌なことはいっぱいありました。福祉サービスがないなら自分たちで動かなきゃと、NPOを立ち上げました。自閉症の理解を広げるキャラバンの活動も始めました。嵩大からたくさんのことを教わって、私の人生は大きく変わりました。

 今、嵩大は私たちのNPOが運営するサポートセンターで大葉の袋詰め作業をしてお給料をもらっています。知的には一歳半の水準なのに、こんなことができる。すごいなと素直に尊敬します。

 これまで講演などで子育ての話をたくさんしてきたのですが、嵩大が二十歳になったのを機に封印すると宣言しました。大人になった息子のことを、親がいつまでも話すのは失礼だろうと思ったからです。でも、相模原の事件が起きて、障害者を否定する意識が社会にあることを実感し、前言を撤回しました。

 わが子を理解するための勉強、苦労や失敗、周囲の成長…。親だから話せることがあります。伝えることによって、私に起きたような変化が他の人にも起きるかもしれないから。

 三月に嵩大の二十歳のお祝いをしてもらいました。お世話になった二十人ほどの方々に集まっていただき一泊で。嵩大のサポートはすべてNPOの友人たちが引き受けてくれて、本当に幸せな時間でした。そのとき、初めて思いました。「嵩大を産んで良かった」と。

 (聞き手・安藤明夫)

 <おぎの・ますみ> 1965年、静岡県生まれ。夫の赴任先の米国で長男が自閉症と診断され、帰国後に愛知県豊川市NPO法人ゆうを設立。福祉サービス提供や家族支援などに取り組む。

 

温度差縮める対話を 

北里大教授・小林亜津子さん

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 今回の事件では、被疑者に「障害者はいなくなればいい」と言わしめてしまった社会のあり方について考えさせられました。彼自身に精神的な問題があったのかもしれませんが、何かしら後ろ盾になる思想が今の世の中には存在する気がします。例えばいま問題になっている出生前診断の現場にも、通底するものがあるように感じます。

 本来、出生前診断というのは胎児の治療のためにできた技術でした。しかし胎児に病気や障害があると判明した場合、中絶を選択するケースの方が多くなってしまいました。陽性診断が確定した人の94%が中絶したという調査もあります。障害のある子を産むか産まないか、選べてしまうこと自体が、現にいる障害者の否定や差別の助長につながると、障害者団体などは批判しています。

 今後さらに技術や普及が進めば、「障害のある子を持つのは不幸だ」という特定の価値観が社会に押しつけられ、刷り込まれる恐れがあります。診断を受ける意思のない人にも「なぜ受けないのか」という無言の圧力がかかってしまう。実際、昨年には茨城県教育委員が障害児の出産を防いだ方がいいという趣旨の発言をして問題になりましたし、うちの卒業生が家族から「出生前診断を受けて」と言われたという話も聞きます。

 一連の問題に対し、日本社会は何の対策も打ち出せていません。どこまでの判断を自己決定に委ねるのか。宗教的バックグラウンドの希薄な日本で、浮草のような個人が選択の責任を受け止めきれるのか。課題は山積みですが、法整備の議論すら始まっていないのが現状です。

 欧米では日本に比べ、優生思想に対して世論が敏感に反応します。今回の事件でも、米ホワイトハウスローマ法王がすぐに声明を出しました。しかし日本では、障害者がターゲットにされた事件だということに対して、国民の当事者意識が低いように感じます。

 障害のある子が生まれてくるのは本当に不幸なことなのか。倫理学の基本は相手の身になって考えてみるということです。学生からは、ダウン症の子どもや家族と交流して見方が変わったという声をよく聞きます。安易に決め付けず、対話すること。それが当事者と非当事者の間の温度差を小さくするのではないでしょうか。

 (聞き手・樋口薫)

 <こばやし・あつこ> 東京都生まれ。京都大大学院文学研究科修了。文学博士。専門はヘーゲル哲学、生命倫理学。著書に『はじめて学ぶ生命倫理』『生殖医療はヒトを幸せにするのか』など。