隣人を「排除せず」「差別せず」「共に」生きる 河東田 博 (2)(元施設職員,浦和大学特任教授/元立教大学教授)
(季刊福祉労働153 現代書館 より)
(「生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店」の記事と平行して,本誌の記事の一部も少しずつ紹介します.独断で大きく割愛して掲載することがあります.本誌を購読してご確認下さい.)
さらに,2000年頃だったと思うが,筆者は,研究者仲間数人と共に地域移行を積極的に推し進めているある自治体の入所施設を訪問し,二日間にわたって生活体験を行ったことがある.
現場に身を置き,客観的な立場で利用者の生活の実態を観察するというものだった.生活体験は記録に残したが,記述内容は,どれも似通っており,生活面での改革を求める厳しい指摘となっていた.
筆者たちが目にした利用者の入所施設での暮らしは,プライバシーが欠如し,人間らしい生活とは程遠く,人間としての威厳が保たれているとは言えないものだったからである.地域移行が他の入所施設よりどんなに進んでいようとも,入所部門は旧態依然とした私たちが敬遠する非人間的な生活が続き,様々な問題や課題が現出していた.
そして,2010年には,キリスト教信徒夫婦の思想と事業姿勢に共感した人たちの手によって創設された民間社会事業団体の定員50人の入所更正施設に入ったことがある.その時の調査結果を,次のように記した.
「施設中央の入り口には鍵がかかっていた.50人は4棟独立型の角小舎に別れて生活しており,角小舎へは自由に出入りができるようになっていた.しかし,中央の入り口を通らないと外には出られない仕組みになっていた.各小舎は,概ね二〜三人共有の部屋となっていた.各小舎の運営は各小舎毎になされているのではなく,全体調整の中で職員体制を決めて対応し(略)小舎制の利点が十分に活かされていないように思えた.そのせいか,利用者は皆生気がないように見えた.(略)昼食時も,職員が少なかったためか,楽しい食事時の光景というよりは,殺風景な食事風景で,職員の対応に指示的・管理的な要素が見られた」
このように,筆者が働いていた1970年代半ば〜1980年代半ばの入所施設も,2000年当時の地域移行先進施設と言われていた入所施設も,2010年頃の地域の中にある比較的小規模の入所施設でも,入所施設の特徴は実によく似ており,入所施設の構造的な欠陥と言っても過言ではなかった.
入所施設の構造的な欠陥とは何かを,スウェーデン社会庁の報告書Institutionsavveckling(施設解体)が解き明かしてくれる.つまり,入所施設は,
①目に見えない,
②隔離されている,
③変化無く機械的,
④集中管理されている(地域で役割や期待がもてない),
⑤社会との関係がなく保護的,
⑥本人の意思が尊重されず不平等,
という非人間的な特異な社会(管理的・隔離的空間)だということである.
そのため,私たちが今なすべきことは,不審者から利用者を守るためにより強固な防護壁をつくることではなく,入所施設から利用者を解放し,地域での受け皿(家庭的な雰囲気の生活の場や誰もが集える場等)をたくさんつくり,地域の人たちの手を借りながら不審者から隣人の大量殺傷を未然に防ぐことができるようにすることなのではないだろうか.
つまり,入所者施設の構造的欠陥を無くすための方策を考えることであり,入所施設「解体」へと考え方の軸足を移し,そのための具体策をこそ強化すべきなのである.
(以下続く 予定)