「しかし,どんなに努力しても,私達の思いは何故か子どもたちに伝わっていかないような歯がゆさを感じている.いや,むしろ,切り捨ててしまっているのが現実ではないだろうか(元施設職員として入所施設で働いていた当時の手記)」河東田博さん(1) 季刊福祉労働153より  

隣人を「排除せず」「差別せず」「共に」生きる  河東田 博 (1)(元施設職員,浦和大学特任教授/元立教大学教授)

(季刊福祉労働153 現代書館 より)

 

施設の本質は1970年代も現在も変わっていない.私たちが今なすべき事は,不審者から利用者を守るためにより強固な防護壁をつくることではなく,入所施設から利用者を解放し,入所施設の構造的欠陥を無くすための方策を考えることであり,入所施設「解体」へと考え方の軸足を移し,そのための具体策を強化すべきである.

 

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(「生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店」の記事と平行して,本誌の記事の一部も少しずつ紹介します.独断で大きく割愛して掲載することがあります.本誌を購読してご確認下さい.)

 

経緯 

7月26日午前7時50分,大学の研究室に入った途端,研究室の電話が鳴った.望新聞記者から「今朝,相模原の障害者支援施設やまゆり園で殺傷事件が起こったのですが,ご存じでしたか?」----

-----驚きが先に立ち,いまだに何を答えたのかよく覚えていない.ただ,「入所施設の夜勤体制がどうなっているのか教えてほしい」等施設の安全管理に的を絞った質問に対して,隔離収容という大規模入所施設の存在そのものが今回の大量殺傷事件を生んだのではないか,と答えたことだけは覚えている.-----

(略)

亡くなられた方々への思い,傷つけられた人たちの1日も早い快復と立ち直り,容疑者(元施設職員)への怒り・憤り,このような悲惨な事件が起こってしまったことへの慚愧の念,どうしたら優生思想や差別意識を無くし,誰もが手を携えて共に生きていくことのできる社会を創り上げることができるのかを考え続けた一ヶ月だった.今尚考え続ける日々でもある.

 

NHKニュース・インタビューを通して伝えたかったこと

(略)

 

入所施設の実態と入所施設の構造的欠陥

元職員として入所施設で働いていた当時を思い返してみると,

恵まれた労働環境で働いていた筆者と管理された不自由な生活の中で暮らさざるを得なかった施設利用者とのギャップが思い浮かび,やむ無く入所施設で不自由な生活を強いられていた利用者の暮らしの実態に改めて心を痛めてしまう.当時筆者が書いたものや知人たちが書き送ってくれたものを紹介しながら,入所施設の実態を振り返ってみよう.

筆者が勤務していたのは,当時東洋一(多額の税金を投入して建て,運営してきた施設で,すばらしい設備と豊富な人材も確保していた)ともて囃された,相模原の障害者支援施設と質的に類似した入所施設であった.この入所施設のことを,筆者は,当時,次のように記していた.

「私たちは親元から離れた子どもたちに本当に温かい接し方をしているだろうか.同じ人間として,同じ仲間として,子どもたちがA施設で本当に幸せな生活が送れるような環境を少しでも提供してあげることができているだろうか.私達は24時間体制の中で,8時間勤務という限られた時間の中で一所懸命?仕事をし,子どもたちの生活を豊かにするという仕事を負わされている.自分たちの生活も豊かにし,生活を守るという意味も含めて.しかし,どんなに努力しても,私達の思いは何故か子どもたちに伝わっていかないような歯がゆさを感じている.いや,むしろ,切り捨ててしまっているのが現実ではないだろうか.(略)施設生活は,子どもたちにとって決してバラ色ではないような気がする」

 

また,知人たちは次のように語っていた.

「(この施設は,)棟内に色もなく緑もない,自分の空間もない.ここは人間の住むにふさわしいところでしょうか.こうも寒々しい施設をこれまで見たことがありません」(1996年1月N氏)

「あのデイルームを見たとき,母親たちはどんなに辛く苦しいだろう,と思いました.別れることだけで苦しいのに,あんな殺風景な部屋で,まるで動物園のように,それしかとる道がないのです.そして,利用者は必要以上に管理され,鍵,カギ,鍵!!トイレに行っても素足のまま----悲しいことでした.」(1996年10月M氏)

 

(以下続く 予定)