「大切なのは,命を奪われ,自分では何も語れない被害者を人として扱う裁判にすること.そのためには残された人の立場でなく,亡くなった人の立場で考えてほしい」障害者の権利擁護に取り組む青木佳史弁護士 東京新聞「相模原殺傷 命の重みをどう伝える 被害者、法廷でも匿名か」より

2月24日,各テレビ・新聞(夕刊)のニュース記事/番組は,「相模原殺傷 元職員を起訴」を伝えていました.

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相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で昨年七月,十九人が刺殺され,二十七人が負傷した事件で,横浜地検は二十四日,殺人や殺人未遂など六つの罪で元職員植松聖(さとし)容疑者(27)を起訴した。精神鑑定で善悪の判断はできる状態だったとの結果が出たことを踏まえ,「完全な刑事責任能力があった」と判断した. 

 捜査関係者によると,昨年九月~今年二月に行われた鑑定で,植松被告は人格障害の一種で自分を特別な存在と思い込む「自己愛性パーソナリティー障害」などと診断された。この障害は判例上,刑事責任能力があるとされている」(東京新聞 2017年 2月24日 夕刊)

東京新聞は,この一面記事の最後の文章を

一方,横浜地検が今後の裁判で,起訴状を朗読する際などに被害者名を呼ばず,「Aさん」などの匿名での審理を裁判所に求める検討をしていることが捜査関係者への取材で分かった。事件は,裁判員裁判で審理される見通し

と結び,三面で,裁判において被害者を匿名とすることに対しての取材記事を掲載していた.以下にその全文を引用します.

 

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相模原殺傷 命の重みをどう伝える 被害者、法廷でも匿名か

 知的障害者ら四十六人が殺傷された事件で,植松聖(さとし)被告(27)が起訴された。検察側は「遺族らへの配慮は必要」とし,遺族らが希望すれば被害者の氏名を伏せて審理するよう裁判所に求める方向で検討している.プライバシーへの配慮を求める遺族らの要望は強いが,「被害者の無念が伝わらない」との声も上がる. (宮畑譲,加藤益丈,加藤豊大)

 「法律が裁いてくれると信じていた。被告は『障害者はいなくなればいい』と言っていたが,こんな事件を起こして本当に幸せなのか聞きたい」

 事件で息子の一矢(かずや)さん(43)が重傷を負った尾野剛志(たかし)さん(73)は,起訴を「当然」と受け止めつつ,匿名審理には反対だ。昨年十二月に検察官に事情聴取された際,裁判で名前を出してよいかと聞かれ,了承したという.

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 「匿名では,殺された人がどういう人か見えてこない.悪いことをしていないのになぜ隠れないといけないのか」.裁判では,被告人に直接質問することなどができる被害者参加制度を使って,一矢さんが受けた苦しみを訴えるつもりだ.それなのに多くの被害者の名前が法廷で「Aさん」「Bさん」などと呼ばれれば,植松被告が奪った命の重みが伝わらないと心配する.

 「神奈川県重症心身障害児(者)を守る会」の会長で,重複障害のある娘を持つ伊藤光子さん(75)も「家族の気持ちは分かるが,誰か一人でも実名を出してアピールしないと,亡くなった人の悲しさが裁判官や裁判員に伝わらないのではないか」と懸念する.

 通常,刑事裁判では,性犯罪や暴力団事件など二次被害の恐れがある場合を除き,被害者は実名で呼ばれる。殺人事件なら検察側が被害者の人生を名前とともに語り,被告が奪った命の重さを訴える.

 しかし,今回の事件では遺族らの多くが警察に匿名発表を望んでおり,裁判でも匿名での審理を求めるとみられる。実際,ある遺族の代理人を務める弁護士は「裁判所は遺族の意向に配慮してほしい」と,匿名審理を求めていると明かす.

 「遺族の気持ちはまだ癒えていない.そっとしてほしいという家族の気持ちに沿うことが一番」.津久井やまゆり園」の入所者の家族会会長を務める大月和真さん(67)も匿名審理への理解を呼び掛ける.

 犯罪被害者の支援に詳しい番敦子弁護士(第二東京弁護士会)は「起訴状に実名が書かれていれば『Aさん』『Bさん』でも裁判の審理に問題はない.遺族の気持ちを重くみてもよいのではないか」と支持する.

 障害者の権利擁護に取り組む青木佳史(よしふみ)弁護士(大阪弁護士会)は,遺族や家族の苦しみは理解しつつも,こう語る.「大切なのは,命を奪われ,自分では何も語れない被害者を人として扱う裁判にすること.そのためには残された人の立場でなく,亡くなった人の立場で考えてほしい」

<法廷での匿名審理> 刑事訴訟法では,被害者や遺族らの申し出により,裁判所が被害者の氏名や住所などの「被害者特定事項」を法廷で明かさない決定ができると定めている。主な対象は性犯罪だが,被害状況などで他の犯罪も対象にできる。実際の運用では,検察側が被害者側の意向を聞き,裁判所に伝えている.

 

 

 

相模原殺傷事件のニュースが飛び込んできたとき,「母よ殺すな(横塚晃一)」を初めて読んだときの「いたたまれなさ」を思い出しました.かつて母親による障害児殺しが続出し,その内の一つの裁判に対して,障害者団体からの異議申し立てがありました.その中心にいた1人が横塚晃一さんでした.そして当時,「重症脳性マヒ児を殺した母親の減刑は当然」と思い込んでいた私がいました.

そして,相模原殺傷事件の被害者氏名が匿名で報道されたのを知ったとき,さらに,今回,裁判でも被害者が匿名で扱われるだろうという報道に接し,「NHKETV特集 /ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実」でのギーゼラ・ブッシュマンさんの言葉がよぎり,再びほぼ同様の「いたたまれなさ」を感じます.「ご遺族の気持ち」もわかる,と何気なく思ってしまう自分がいるからです.

ギーゼラ・ブッシュマンさんと横塚さんの言葉は,どちらもすでにこのブログで取りあげていますが,もう一度ここに記載し,今も残る私自身の「いたたまれなさ」を再確認しておきたいと思います.

相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映より[5] - yachikusakusaki's blog

数ヶ月に一回,ガス室に花を手向けるために訪れているというギーゼラさん.父の妹である叔母が,癲癇(てんかん)のために,ハダマーで殺されました.

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父より三歳年下だったヘルガさんが殺されたのは,17歳の時でした.しかしギーゼラさんは最近までヘルガさんが存在していたことすら知りませんでした.「父は一度も叔母について話したことがありませんでした.私が5〜6歳の時に,祖母のところでこの写真を見たんです.机の上にあった.これは誰なの?と聞いたら,男の子があなたのお父さんで,女の子はヘルガだって.その後,この写真は机からなくなりました.なんとなくそれ以上聞いてはいけないという雰囲気があって,私はそれから二度と聞く勇気がありませんでした」

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その後も父は一度も妹のことを話題にしなかったといいます.しかし父の従姉妹が80歳を過ぎてから,ハダマーの施設に問い合わせるように言ってきました.

そこでギーゼルさんは,初めて叔母ヘルガさんが殺されていたことを知りました.

「手紙を受け取ったとき,すごく泣きました.ヘルガは,よく犬小屋に閉じ込められていたと聞きました.とてもショックでした.(写真を見せながら)ヘルガが犬小屋に閉じ込められていたときの犬です.ヴォータンという名前のジャーマンシェパードです.ヴォータンとはゲルマン民族の神様の名前です.私はこの犬の話を聞いて育ったほど,父は自分の愛犬について,たくさん話をしてくれました.でも妹については,一言も話してくれたことがないのです.兄妹が自分の妹を忘れる,または忘れるふりをするなんて,私には理解できません」

叔母のヘルガを知らずに育ったギーゼラ・プッシュマンさん.ギーゼラさんは新聞広告にあるメッセージを載せました.

「叔母が殺されたことは,私にとってとても悲しいことです.でも私にとって本当に悲しいのは,叔母の死ではなく,家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです.それが今でも私は悲しくて仕方がないのです.

ヘルガおばさんの尊厳を取り戻し,人々の記憶に残していきたいのです」

ギーゼラさんが亡き叔母にあてたメッセージです.

「ヘルガ・オルトレップ

あなたはナチスの言いなりになった協力者によって殺された.そして家族によっても黙殺された.私はあなたを忘れない

あなたの姪ギーゼラより」

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上野千鶴子さん語録2 / 横塚晃一さん語録2「(子殺しの母は)『この子はなおらない.こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ』と思ったという.なおるかなおらないか,働けるか否かによって決めようとする,この人間に対する価値観が問題なのである」 - yachikusakusaki's blog

"横塚晃一 母親の殺意こそーー重症児殺害事件の判決を終わって(「母よ殺すな」 生活書房)''より

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なぜ彼女(子殺しの母*)が殺意を持ったのだろうか.この殺意こそがこの問題を論ずる場合の全ての起点とならなければならない.彼女も述べているとおり「この子はなおらない.こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」と思ったという.なおるかなおらないか,働けるか否かによって決めようとする,この人間に対する価値観が問題なのである.この働かざる者人に非ずという価値観によって,障害者は本来あってはならない存在とされ,日夜抑圧され続けている.

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 「可哀そうなお母さんを罰するべきではない.君たちのやっていることはこのお母さんを罪に突き落とすことだ,母親に同情しなくてもよいのか」等の意見があったが,これは全くこの''殺意の起点''を忘れた感情論であり,我々障害者に対する偏見と差別意識の現れといわなければなるまい.これが差別意識だということはピンとこないかもしれないが,それはこの差別意識現代社会において余りにも常識化しているからである.

 

子殺しの母*:1970年横浜で二人の重症脳性マヒ児をかかえた母親が,当時二歳になる下の子を絞殺した.