我が家の梅はそろそろ見頃 / 梅と太宰府といえば菅原道真ですが,奈良時代なら大伴旅人 梅(3)/ 万葉集 わぎもこが、うゑしうめのき、みるごとに、こころむせつつ、なみだしながる 大伴旅人

今年は梅の開花が早いように思っていましたが---

この何日かの寒波.日本海側は大雪.我が家も外はずっと冷蔵庫の温度.雪もちらほら---

 でも,各地の梅の開花日は,京都・大阪・熊本など一部を除いて軒並み早いとの報告が.奈良,鳥取,高松などは例年より30日以上も早い.気象庁 | 生物季節観測の情報 梅の開花日

我が家の梅はつぼみも残っているものの,そろそろ見頃と言ってもいい状況---.

 

f:id:yachikusakusaki:20170210205315j:plain

梅は春を忘れていません.

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

(菅原道真 拾遺和歌集)

 

梅といって思い出す人物は?と聞かれたら,なんといってもこの菅原道真道真を祀った各地の天神様には必ず梅が植えてあるのでは?

多くの天満宮は梅の名所にもなっていて,

るるぶトラベルの最新2017ランキングでは,3.京都北野天満宮,5.東京湯島天満宮(湯島天神)  20.東京亀戸天神社 梅の名所へでかけよう2017 - 観梅・梅まつり特集:るるぶ.com

f:id:yachikusakusaki:20170210210518j:plain

北野天満宮2017:るるぶ.com 湯島天満宮2017:るるぶ.com 亀戸天神社2017:るるぶ.com

ほかにも福岡太宰府天満宮 鹿児島薩摩川内藤川天神 香川綾川町滝宮天満宮 大阪道明寺天満宮 大阪天満宮 神戸北野天満神社 神戸綱敷天満宮 愛知岡崎岩津天満宮 東京国立谷保天満宮 等々

飛梅伝説,道真が上記の和歌を詠み、その梅が大宰府に移動したという伝説は余りにも有名.道真の墓所あとに建てられた太宰府天満宮には神木「飛梅」があり,境内には6000本の梅.

f:id:yachikusakusaki:20170210211623j:plain

「太宰府天満宮」の梅2017 hana's 太宰府天満宮の飛梅開花

梅-太宰府-菅原道真は連想ゲームでもつながって出てくる.

 

しかし,梅-太宰府でもう一人忘れてはいけない万葉歌人がいます. 

大伴旅人

太宰師(そち 長官)に任ぜられ,当地で観梅パーティーを主催.

その日の詠われた歌は「梅花歌32首」として万葉集に収められています.

「梅花歌32首」は,万葉集で最も早い時期に詠われた梅の歌.万葉集では梅が萩に次いで多く117首も詠われる花となってますが,その内の32首が一挙に作られた.和歌世界への梅のデビューは鮮烈なものだったのですね.

大伴旅人万葉集全4500余首のうち78首も収録されている代表的な万葉歌人の一人で,息子は家持,異母妹は大伴坂上郎女

 

ちなみに万葉歌人歌数ベスト5は以下の通りだそうです.

大伴家持479首,大伴坂上郎女84首,柿本人麻呂84首,大伴旅人78首,山上憶良76首,

グラフふくおか (その他の方々では,山部赤人50首,高橋虫麻呂34首,高市黒人18首,額田王12首---)

旅人兄妹&息子で600首以上の歌が収められているとは!

 

大伴旅人はとても妻思いであったとされ,先立たれた妻を詠んだ歌はとても有名.三首目に梅が詠まれており,三首続けると,より心にしみる様に思われます.

 

故郷の家に還り入りて

人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり (第3巻 451)

妹としてふたり作りし我が山斎(しま)は木高く茂くなりにけるかも (第3巻 451)

我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽(む)せつつ涙し流る (第3巻 451)

 

有岡利幸氏は著書「梅 I 法政大学出版局」で次のように書いています.

大伴旅人は老年になってから,太宰師(そち)に任じられ,長官として妻をともなって赴任したが,その地で愛妻を亡くした.その悲嘆ぶりは,やがて任をおえて都に帰ったときに詠んだ「故郷の家に還り入り手」と詞書のある三首の歌に示されている.

二首目の山斎(しま)とは,林泉,庭園のことである.

愛妻と二人で相談し,指図しながらつくった庭園には,妻が植えた梅の樹があり,花が咲いている.それを見るたびに,「心咽(む)せつつ涙し流る」と旅人は詠うのである.三首目の歌を読むと,我が家の庭園に植えるほど大伴家の女主人は,梅を好んでいたことがわかる.また,日常眺める庭に,梅の木を植えようという妻の提案を,承諾した旅人も梅が好きでたまらなかったのではないか.公務多忙の旅人は,自分自身で植えることができなかったので,妻に庭園に梅の樹を植えるように頼んでのではなかったか.

 

梅 / 万葉集(3)

わぎもこが、うゑしうめのき、みるごとに、こころむせつつ、なみだしながる

我妹子(わぎもこ)が、植ゑし梅の木、見るごとに、心咽(む)せつつ、涙し流る  大伴旅人 (第3巻 451)

我妹子が、植ゑし梅の木、見るごとに、心咽せつつ、涙し流る

 

▽折口信男 万葉集

死んだ妻が植えた,梅の木を見る毎に,壓(おさ)えていようと思うても,辛抱ができないで,心底からむせかえって,涙が出ることだ

(第一首は,旅人の客観力が思われる.同様なつきつめた感じを,こう平気で歌うこととの出来る人はあるまい)

 

▽伊藤 博 新版万葉集一現代語訳付き 角川ソフィア文庫

いとしいあの子が植えた梅の木,その木を見るたびに,胸がつまって,とどめなく涙が流れる.

 

斎藤茂吉 万葉秀歌

 妹としてふたり作りし我が山斎(しま)は木高く茂くなりにけるかも (第3巻 451) について

旅人が家に帰って来て,妻のいない家を寂しみ(寂しいと思い),太宰府で亡くした妻を悲しむ歌で,このほかに,「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」「我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽(む)せつつ涙し流る」の二首を作っているが,共にあわれ深い.

この一首は,

亡くなった妻と一しょになって,二人で作った庭は,こんなにも木が大きくなり,繁茂するようになった

というので,単純明快の内につきぬ感慨がこもっている.結句の「なりにけるかも」というのは

「秋萩の 枝もとををに 露霜置(つゆしもお)き 寒くも時は なりにけるかも」(巻十・2170)

竹敷(たかしき)の うへかた山(やま)は 紅(くれなゐ)の 八入(やしほ)の色(いろ)に なりにけるかも」(巻十五・3703)

「石(いわ)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の 萌え出づる 春になりにけるかも」(巻八・1418)

等の如くに成功している.同じく旅人が

「昔見し 象(きさ)の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも」(巻三・316)

という歌を作っていて効果をおさめているのは,旅人の歌調が概ね直線的で太いからだろうか.