匿名の命に生きた証を (3)  19人の命が奪われた相模原障害者施設殺傷事件,県警は犠牲者を匿名で公表しました.そのことに疑問を投げかける人たちがいます.今殺された19人がどんな人生を送っていたのか,関わりのあった人たちを訪ね,記憶に残そうとしています.「(北島三郎の湯飲みを)二つ持ってきて,これ先生に一つあげるよって言って.----いまだに使ってんだけど,これが遺品になっちゃってよ」元職員 細野秀夫さん NHK Eテレ+東京新聞

シリーズ相模原障害者施設殺傷事件 第1回 匿名の命に生きた証を(3)

NHK Eテレ 2016年12月6日(火曜)午後8時00分〜8時29分

再放送2016年12月13日(火曜)午後1時05〜1時34分

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http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/index.html?id=201612062000

匿名の命に生きた証を (1) 「匿名発表ということで記号としてしか処理されていない.一人ひとりの人生,それが封印されている」元職員 西門さん

匿名の命に生きた証を (2) 「19名の方々を無駄死にさせないというんですか,そういうなかった歴史に追い込むようなことはないようにするために,一つの手立てではないかな,と」元職員太田さん

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犠牲となった人たちの人生を記録する西門さん.かつての先輩が,思い出の品を持っていると聞き訪ねました.

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「久しぶり」「元気ですか」「元気よ」

細野秀夫さん,70歳です.

殺害された一人を長年にわたって支援していました.

細野さんこの人.すごい温厚な人でね.やさしい人で.何でも職員の手助けをしてくれて.で,職員が食事が終わって椅子を上げようかっていうと,自分でポンポン,テーブルの上に椅子をあげてくれて,掃除しやすいように,そういうこともあったよ.人が出すとね,僕がやるからいいんだよ,って怒られるの」

「職員がもう一人いるようなもの」細野さん「そうそう,だから準職員だって言ってたのよ」「そうでしょうね」

細野さんには,忘れられないエピソードがあると言います.

細野さん「演歌を聴くのが大好きで」「どんな演歌が」

細野さん「あれよ,北島三郎」「北島三郎,なるほど」

細野さん「ほいで,よくやってくれたから,『じゃーお正月,北島三郎の新春歌謡コンサートを見に行くか?』って言ったら,『いいの?』って言うから,いいよ,連れてってやるよ,そして連れてったのよ.そしたらね,この茶碗がね,二つセットで売ってるんですよ.この茶碗も欲しいなって言うから,『一個でいいんだけれど』って言うから,『うん一個でも良いよ,買って来なって』その内にどういうあれしたんだか,二つ持ってきて,『これ先生に一つあげるよって』言って,『良いのかよ』って言ったら『いい』なんて言って,そして,これをよ,いまだに使ってんだけど,これが遺品になっちゃってよ,うーん

細野さん「ただ障害者だからって,ふざけんなよ,って言いたくなるわけよ.お前それでも人間か,って言いたくなるよ」

細野さん「今言ったのは,ほんとう,ぶっ殺すぞ,って飛びかかるような気持ちはあるね.もし目の前に犯人がいたらね.」

 

犠牲となった人たちの人生をたどり始めた太田さん.かつて一緒に散歩した道を12年ぶりに歩いてみることにしました.

「こんにちは,ご苦労様です」

散歩する津久井やまゆり園の入所者に出会いました.

太田さん「こんにちは,寒いですね」

太田さん「こんにちは,覚えてますか?」「太田さんだよね」太田さん「はい,そうです.あの時は,たくさん歌を聴かせてもらいました.ありがとうございました」

太田さんがかつて支援した人たちです.

太田さん「寒いからお気をつけて」「すこし体を動かさないとね」太田さん「それもそうですね.風邪ひかないでね」「太田さんもね」太田さん「ご苦労様でした」

太田さん「この橋ができる前は吊り橋がありました.見えないですね.どこだったかな--」

数え切れないほど歩いた道をたどる内に,過去の記憶がよみがえってきます.

太田さん「この円形のベンチに座って,小休憩.おやつと称してお菓子みんなで食べて,すぐ食べ終わってしまうんで.いやー」

いつも最後に立ち寄った神社です.

太田さん「まず,到着すると手を拭いて,まず一服ね.こうやって座って持ってきた手ふきで手を拭いて,歌なども好きですので,歌を歌おうねって,みんなの大好きな高校三年生とか,自ら歌いたいって,一番を繰り返して何回か歌いますね.」

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太田さん(歩きながら)「あーあーあーあー高校三年生,ぼくら離ればなれになろうとも,クラス仲間はいつまでも(口笛----)」

太田さん「高校三年生歌ったら,ちょっとぐっときましたね.最後のセンテンスがグッときて歌えなかった」

太田さん「今回の深刻さっていうものは,分かってたつもりなんですが,改めてこのコースを一緒に歩いたよね,散歩したよね.っていうような過去の時のことを思い出しながら歩いてる内に,今までとは違う19名のことの重大さっていうのをなにか感じましたね.ほんとにかけがえのない,当たり前のことなんですけどね,かけがいのない命を奪われたということはよく分かっているつもりなんですが,こうやって彼らを一緒に歩いた道を今一人で歩いていると,さらに,その思いが強くなりましたね」

匿名で公表された19名の犠牲者.これまでに15人の情報が集まりましたが,どれも断片的なものです.

西門さんと太田さんは全員の人生を明らかにし,記録に残したいと言います.

11月中旬,津久井やまゆり園の献花台の傍らにある告知が張り出されていました.

太田さん「献花台を閉じさせて頂くことにしました」っていうことですね」

事件から四ヶ月余り,名前のない人々に捧げられる花束も,まもなくここから無くなります.

太田さん忘れたらね,本当に私たちは二回目の殺人を犯すようなものですよね.忘れるって言うことはね.ここで19名の命を絶たれて,何年か後に誰も彼もが忘れてしまって,話題にもならない振り返ることもされないような事になるっていうことは,もう一回殺されたようなもんですよね.二回目はそういうことはさせない,しない,ってそう思いました」

 

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東京新聞:「やまゆり」被害者を忘れない 元職員ら聞き取り開始:社会(TOKYO Web)

 相模原市緑区知的障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件で、元職員の二人が「実名で被害者の生き方を公表することが、障害者への偏見をなくすことにつながる」と亡くなった十九人について関係者への聞き取り調査を始めた。事件では被害者名は伏せられたままだ。二人は「記憶が薄れれば取り戻せない」と活動を続ける。九日まで障害者週間-。 (井上靖史)

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 二人は、東京都八王子市の福祉施設職員、西角純志さん(51)と、園の近くに住む太田顕(けん)さん(73)。

 二〇〇一~〇五年まで園に勤務した西角さんは、被害者の中に自分が携わった入所者六人がいると知った。しかし県警や県は「遺族の要望」などを理由に被害者を匿名発表とし、ほとんど話題に上らないと感じた。一方で、植松聖(さとし)容疑者(26)の「障害者は不幸を作ることしかできない」との考えは注目を集めた。

 「亡くなった方が忘れ去られてしまう。逆に加害者はネット上などで英雄視もされ、思うつぼだ」

 一九六八年から三十六年間勤務した太田さんに相談すると、思いは同じだった。「園生には、わが子をいつくしむような気持ちで接してきた。このままではいけない」

 二人は九月以降、元職員や園に携わったボランティアら十数人のほか、入所者の家族会前会長で、事件で息子の一矢(かずや)さん(43)が重傷を負った尾野剛志さん(73)=神奈川県座間市=からも話を聞いた。すると十九人のうち、十五人の「生きた証し」が少しだけ見えてきた。それぞれが優しさや趣味を持ち、自分の人生を歩んでいた=表。

 一部の遺族には「話したくない」と断られた。それでも、西角さんは来年以降も調査を続けるという。

 「障害者と一くくりに言うが、亡くなった方々も喜んだり楽しんだりした時間があった。匿名が逆に偏見や差別を生んだり助長することも考えられる。遺族の方たちと、どういう公表の仕方があるかを相談していきたい」

◆調査した入所者たちの人柄

 ▽言葉が不明瞭なところもあったが、グループのリーダー的存在で新人職員にも園内の仕事を丁寧に教えていた。演歌が好きで、北島三郎さんのコンサートに担当職員と一緒に行った。北島さんの名前が入った湯飲み茶わんを二つ買い、一つを職員にくれた(西棟2階の男性)

 ▽近くの洋食店によく食事をしに来た。駄々をこねたりするようなことが一切なく、まるで生き仏、天使のような存在だった(東棟1階の女性)

 ▽囲碁や将棋が好きで、毎週日曜日昼のテレビ番組を欠かさず見ていた。電車好きでもあり、「ドアが閉まります」と車掌さんのマネもしていた(西棟2階の男性)

 ▽畳の部屋で昔ながらのトランジスタラジオをいじるのが好きだった。職員の声掛けに素直に応じてくれた(西棟2階の男性)

 ▽言葉で自由に意思表示はできなかったが、絵や写真で自己表現していた。昔の職員を気にしたり、若いころの自分の写真を見せてアピールしていた(西棟2階の男性)

 ▽テーマパークに出掛けると、家族連れの赤ちゃんに興味を示す母性的な人だった(東棟1階の女性)