アナザーストーリーズ NHKBSプレミアム11月9日(水) 午後9時00分 再録
「1980's CM黄金時代 3人の天才がいた」
視点1:おもしろCMでヒットを連発した大阪の鬼才
ナビゲーター沢尻エリカ
「ピッカピカの一年生 そうしたキャッチコピーは私が生まれるずっと前のものなのに,聞いたことのあるものがいくつもあります.CM,それはものを売るためにあります.けれどこうしてみてみると---
[ 初恋の味 飲んでますか? 金鳥の夏/日本の夏 インド人もびっくり うれしいとメガネが落ちるんですよ Oh!モーレツ ハヤシモあるでよ〜 --- ]
時代時代の空気が映し出されています」
「1960年代 大きいことはいいことだ
1970年代 わんぱくでもいい,たくましく育って欲しい
1980年代 様々なキャッチコピーがあふれCMは黄金時代を迎えます」
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視点1:おもしろCMでヒットを連発した大阪の鬼才
ものを売ってなんぼの大阪.やたらインパクトの強いCMでヒットを連発した男たちがいる.[ 電通 関西支店 堀井グループ ]
顔を合わせればしょうもない馬鹿話ばかり.だがそこから斬新なCMを次々に生んだ.
堀井「昨日あいつが飲み屋でこんなあほなこと言うとった.広告にできへんやろうかみたいなね」川崎「朝の電車の中に,こんなおばはんおったでとかね」
80年代CM黄金期、3人の天才は何を見通したか:日経ビジネスオンライン
で,できあがったのが
大阪の迷惑駐車
出演者は全員ど素人.そしてほとんど一発取りだったという.
川崎(演出担当)「説明もしない,紙があってセリフだけ書いてあった.この通り言って下さい.リハーサルもほとんどないですよ」「ぼくの方は演出しても演出しようがないので,秒数管理だけ.良くもこれだけアホなことを好きなヤツがそろったな,と思いましたもん,初めて行ったときに」堀井「何をやらされているかわからんうちにとってしまう.せやから1テイクだけですわ」
アホなことを考える筆頭が堀井博次(現在79歳),そしてコピーライターとして数々の傑作を生み出した石井達也.
石井「結構人の弱みは大好きやったね.弱点を見つけるのはね」堀井「人の欠点をいじくるというのがね,快感なんですわ」
堀井にとって人間の欠点こそがチャームポイント.だからいじくり倒した.
堀井「もう無意識のうちにね.そういう人間の弱点に対するいとおしさみたいのがありましたね.ホッとしますからね.頬ずりしたい感じ」
1980年,それまで関西圏のCMを作ることが多かった堀井グループに,ある企業から全国向けのCMの依頼が入る.
それがあの蚊取り線香の会社.電子蚊取りマットで他社に後れをとり,宣伝でのインパクトを求めていた.堀井に仕事を依頼した社長の上山英介.彼の会社には変なCMを作る伝統があった.殺虫スプレーを売り出したときのコピーは,商品名を逆さまにしたルーチョンキ.意味不明だが売り上げは倍増した.
(宣伝部員)「こう言われてました.新・奇・珍,やっぱり新しい珍しい奇抜な,そういうものが採用するポイントだったと思います」
そんな社長の下で,堀井がやる気にならないわけがない.いきなり超大物,当時阪神の4番バッターだった掛布に声をかけた.それもこんな単純な理由で.
堀井「掛布と シュッとかける,いうのを言葉でかけて,掛布さんに出てもらったんかな」
できたのはこのCM.
「かっかっかっか.掛布さん-----」
一躍全国に知れ渡ったこのCM.だが掛布には迷惑をかけたという.
「掛布さんが成績の悪かったときに,それはファンが怒らはってね,いっぺん飲み屋で飲んでたら,そのCMがバーン出てきたら,おっさんがビールをボーンかけたって,おまえ,こんなことやっとるからアカンのじゃ!って.かわいそうに.申し訳ない」
しかしインパクトの代償か,このCMは騒動を引き起こす.蚊取りマットを印象づけるために「かっ」を連呼するコピー.思わぬ所からクレームがついたのだ.
石井「『かっかっかっ』が吃音を助長させる,連想させるいうクレームがついて,こっちも耐えられなくなって,CMは放送中止」
しかし堀井は転んでもただでは起きない.映像はそのままに,音声だけを撮り直すという,荒技に出た.
上山は,そんな堀井たちのやり方を何も言わずに後押しした.そこに売ろうとする商品とCMへの愛が感じられたからだった.
堀井「まー言葉を入れ替えたり,編集変えたり,それでも懲りずにやるんやね.(そのCMを)なんとか救いたいと思ってね」
石井「まー堀井さんはしつこかったね.オンエヤしてても,ここもうちょっといじったらおもろなるんちゃうか,言うて,オンエア終わるいうのに,まだいじって」
なにはどうあれ面白いかどうか.堀井は徹底して笑いにこだわってきた.
昭和12年(1937年)京都の生まれ.そのシニカルな目線はどこで生まれたのか.堀井は9歳で経験した終戦が世間の見方に影響しているという.
堀井「米英鬼畜はね,子どもたちに何をするやわからんからとりあえず(疎開先から)帰ったら東山に逃げろ,って言われてね.だけど帰ったらね『ハロー』とか『サンキュー』とか(皆)言うてるから『ええ!』と思ってね.進駐軍に会うたらチューインガムはくれるしチョコレートはくれるしね.全然鬼畜やなかった」
常識なんてそんなものか,以後,世の中の建前を笑い飛ばすのが堀井のスタンスになっていく.
そしてあの頃,1980年代誰もが身の丈以上の暮らしにあこがれていた.だが堀井はそこに視線を合わせようとはしなかった.
おしゃれを気取ったって世界一の経済大国になったって,バーゲンに必死で群がるのが人間.みんなが浮き足だった時代,だからこそ堀井はあの80年代にリアルな笑いを追求した.そして生まれたのがこのCMだ.
これまでのナンセンスにリアリティーが加わったCMの誕生.しかし完成までに紆余曲折があったことは,ほとんど知られていない.
堀井が監督に招いたのは,CM界きっての巨匠市川準.撮影当日,堀井と市川のアイデアに驚いたのは出演者の二人だった.木野花&もたいまさこ.
木野「絵コンテに,あたしたちの衣装がミニスカートにフリのあれが出されたときに,これは違うんじゃないのって」
80年代CM黄金期、3人の天才は何を見通したか (2ページ目):日経ビジネスオンライン
実は最初のプランは,亭主元気でとは全く別物.街角に派手な衣装で立って商品名を連呼するというものだった.
木野「市川さんが,すごく市川さんがそこがずるいっていうか,衣装がこれしか持ってきてないんですよって言うの.そんなわけないよって思うんだけど」
もたい「堀井さんは背後霊みたいにぼおってしてるだけで,全然しゃべらないんですね.何か全然凄腕には見えない.油断させるんですよね」
二人は渋々了承.しかし現場で堀井たちがギリギリ悩み始めた.この後に来る夫のセリフが問題だった.''みっともないパートはやめてくれないか''
堀井「それ現場で撮って全然おもろなかったんですね.やっぱり面白いか面白くないか見てる人がね.言葉自体にね,力がないとちょっとつらいな」
このセリフがどう変わったのか.
木野&もたい(ミニスカートで軽トラの荷台に立って振りをつけながら「タンスにゴン タンスにゴン におわないのが新しい」〈何回も繰り返し〉
それを見ている奥様四人連れ「山田さんの奥さんも大変ねぇ 家をお建てになってから」
新防虫剤金鳥ゴン!
このセリフが笑いと共感を誘い,CMは大ヒット.ところがまたも放送中止に追い込まれる.
石井「九州で山田さんいう家建てたばっかりの家族がいて,学校行ったら『ゴンやゴンや』っていじめられるというのが発端で,かなり過激な話しになってきたから,もうこれはオンエアやめよういうので」
もちろんめげたりはしない.別バージョンをチャッカリ撮影していた.
それがあの「亭主元気で編」だった.
CMは更に大きな反響を呼びその年(1986年)の流行語大賞銅賞に.
堀井「あのね,やっぱり対象に愛情があるからやと思います.大所高所からその人を見下しているんやなしに,俺もアホやけどお前もアホやなぁという,目の位置が一緒か低いんですよ.それが何となく見ている人の共感を呼ぶいうんがあるんですわ」
目線を下げた笑いで共感を呼ぶ,その独特のインパクトはCMに新たな潮流を生み出した.それは東京のクリエーターたちをも刺激し1980年代のCMブームを更に大きくしていった.
その渦の中心にいたのがこの天才だった.----