蛙の手の形をしているので「かへるで」→カエデ=もみじ / 万葉集 ''こもちやま,わか かへるでの,もみつ まで,ねも と わは もふ,なは あどか もふ"  東歌

昨日11月2日は

もみじ つた きばむ(楓蔦黄) カエデやツタの葉が色づき始める頃

2016年(平成28年) 二十四節気 七十二候 | うるう年以外は11月3日).

 紅葉狩の季節ですね.

七十二候<楓蔦黄〜もみじつたきばむ〜日本気象協会 tenki.jp によれば

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『もみじ』は

「 葉の色が揉み(もみ)出されてくるという意味の『揉み出(もみず)』が『紅葉つ・黄葉つ(もみつ)』と変化していったものともいわれます」

「もともと特定の木の名前ではなかったのが,とりわけ美しく紅葉する楓(カエデ)を指すようになった」

「別名『色見草(いろみぐさ)』.色づき具合が秋の深まりを知る目安になる」

とのこと.

紅葉狩り」についての詳しい話=能の''紅葉狩''や鬼女にまつわる''紅葉伝説'' も.七十二候<楓蔦黄〜もみじつたきばむ〜日本気象協会 tenki.jp

日本人と紅葉/楓との深く長いつきあいを感じさせるお話です.

 

また, カエデ(モミジ)とは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 によれば,

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「カエデは,カエデ科カエデ属150種の総称.園芸品種が多く,日本産の種に属する品種が200~400品種といわれています」

「園芸の世界では,切れ込みが深く数が多いものをモミジ,浅く少ないものをカエデと呼んでいます」

ややこしいですね.まとめると

「カエデは属の名前であると同時に種の総称.カエデの別称がモミジ.ただし,園芸品種の世界ではカエデとモミジを区別する」

 

なお,山田卓三先生の「万葉植物つれづれ(大悠社)」によると,

万葉集ではカエデは「かえるて」と記され,モミジは「もみち」で,一首のみは「紅葉」.その他は全て「黃葉」があてられている」

「カエデの語源は,蛙の手の形『かえるて』」日本国語大辞典にも同様の記載)

 

 

 

 カエデ(かえるて)/万葉集

こもちやま,わか かへるでの,もみつ まで,ねも と わはもふ,なは あどか もふ

子持山,若かへるでの,もみつ まで,寝もと 我は思ふ,汝はあどか思ふ   (巻14・3494) 東歌

子持山(児もち山)、若かへるで(楓)の、もみ(黃葉)つ(づ)まで、寝もと我(わ)は思(も)ふ、汝(な)はあど(何)か思(も)ふ 

 

子持山の若い楓が,紅葉する時分迄も,寝て居よう,と自分は思ふが,お前は如何(いか)に思ふか. (折口信夫 口訳万葉集

 

◎「子持山」は伊香保温泉からも見える山で,渋川町の北方に聳(そび)えている.一首は

あの子持山の春の楓の若葉が,秋になって黃葉(もみじ)するまでも,お前と一しょに寝ようと思うが,お前はどう思う 

というので,誇張するというのは既に親しんでいる証拠でもあり,その親しみが露骨でもあるから,一般化し得る特色を有(も)つのである.

「汝(な)はあどか思ふ」と促すところは,会話の語気その儘(まま)であるので感じに乗ってくるのである.「吾(わ)をぞも汝(な)に依(よ)すといふ,汝(な)はいかに思(も)うや」(巻十三*三三〇九)という長歌の句は,この東歌に比して間が延びて居るように感ずるのである. (斎藤茂吉 万葉秀歌)

 

子持山(こもちやま)の若い楓(かえで)の葉が紅葉するまで,寝ようと私は思います.あなたはどう思います?    ( たのしい万葉集(3494): 子持山若かへるでのもみつまで

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カエデ(かえるて)/万葉集

わがやどに,もみつかへるて,みるごとに,いもをかけつつ,こひぬひはなし

我が宿に、黄葉つ蝦手、見るごとに、妹を懸けつつ、恋ひぬ日はなし  (巻8・1623) 田村大嬢(たむらのだいじょう)

我(わ)が宿(やど)に、黄葉(もみ)つ蝦手(楓 かへるて)、見るごとに、妹(いも)を懸(か)けつつ、恋(こ)ひぬ日はなし

 

◎私の屋敷に紅葉している楓を見る毎に,いとしいお前のことを思い浮べて焦がれていない日はない. (折口信夫 口訳万葉集

 

◎家の庭の紅葉した楓(かえで)を見るたびに,あなたのことを思って,恋しくないなんて日はありませんよ.

妹(いもうと)の坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に贈った歌です.(たのしい万葉集(1623): 我が宿にもみつ蝦手見るごとに