新聞より「大量の砂糖や脂肪の存在に私たちの脳も体もうまく対応できていないのと同じく,この貨幣という存在にも、実は私たちの脳はうまく対応できていないのではないだろうか?---本当は,今でも狩猟採集生活時代と同じように,みんなで共同作業をすることで生きているのだ」長谷川眞理子 毎日新聞 時代の風

ヒトによる貨幣の発明 忘れられた共同の原理  

総合研究大学院大教授・長谷川眞理子 毎日新聞 2016年(平成28年)10月30日 東京朝刊

 

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 交換と交易の歴史は非常に古く,何万年も前までさかのぼれるようだが,貨幣経済は進化史的に言えばごく最近のことである.どんなものにも変えることができる抽象的な価値とは,とんでもない発明だと思う.

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  それは,貨幣というものが,確かに人間の生活を変え,世界を見る目を変え,欲望のあり方を変え,人生観を変え,結局のところ人間性を変えてきているように思うからだ.

貨幣経済の真っただ中で暮らしている私たちにとって,貨幣は当たり前の存在だが,ヒトという生物にとって,こんなものの存在は決して当たり前ではなかった.そして,

大量の砂糖や脂肪の存在に私たちの脳も体もうまく対応できていないのと同じく,この貨幣という存在にも,実は私たちの脳はうまく対応できていないのではないだろうか?

 

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 ヒトが狩猟採集生活をしていた頃,----略

「欲しい物」というのは具体的な物であり,それを手に入れる方法は限られていた。そして,ヒトはそのことを知っていた.

 しかし、何にでも交換できる抽象的な価値が手に入るようになると,それ自体を得たいという新たな欲望が生まれる。「金の亡者」は,何か特定の物が欲しいから貨幣を得るのではない。ともかく貨幣をためることが何にもまして大事な目的なのだ。そこには限度がない.

 

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 そして,今では,貨幣を手に入れることは一つの職業につくことである.一つの職場で一つの仕事をし,その対価に貨幣をもらう.そうすると,ヒトは,自分が独立して生きていると思う.

本当は,今でも狩猟採集生活時代と同じように,みんなで共同作業をすることで生きているのだ.

農家がいなければお米も野菜もない。物流や商店がなければ,買うことができない。医者がいなければ病気を治せない。学校の先生がいなければ教育ができない.

今でも,みんなでともに生き,生かされて暮らしているのだが,それぞれに貨幣が介在しているので,共同という感覚がなくなる.

便利なものには必ず負の面がある。ちょっと立ち止まって考えてみた方がよい.